追悼・再掲載 銀幕閑話 第67回 2005年10月14日
このコラムの第65回「李香蘭に拍手」を書いた後、李香蘭こと山口淑子さん(85)ご本人にお話をうかがう機会があった。
インタビューの目的は、毎日新聞が毎週日曜、首都圏の読者に本紙と一緒に配達している週刊テレビ番組ガイド「マイニチ とっちゃお」10月16日号に掲載するためである。
今年88歳になる私の母に「山口淑子さんのインタビューを予定しているんだ」と話すと、「本当? 『白蘭の歌』がよかったよ。中国の豪族令嬢役で相手は長谷川一夫。松村康吉という名の青年技師だった」と劇中の名前まですらすら挙げる。まるで昨日見てきたかのように、しかもちょっと得意げに。
『白蘭の歌』が公開された1939年当時、母は群馬県の農家の娘だった。たまの休みに着物で正装し友達と連れ立って上信電鉄というローカル線に乗り高崎の電気館に映画を見に行くことは、お祭りや正月と並ぶハレの日だったに違いない。
「顔立ちが日本人離れしていて田中絹代より現代的だった」
話しているうちに表情が生き生きしてきて、丸くなっていた背筋がピンと伸びたようにも思えた。
「よろしく伝えてね。いつまでもお元気で。私も頑張るからと」
まるで旧知の間柄のように「伝言」を託す母に私はある種の感動を覚えた。スターとは何だろう。同じ時代を生き抜いてきたという共感はもちろんあるだろう。しかし母のスターへの憧憬は、数十年の時空を超えて青春の1日を脳裏に鮮やかに蘇らせる力があるようだ。
その予感があるからこそ、東京国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)での『萬世流芳』(ばんせいりゅうほう)の上映に高齢者多数が駆けつけ、長時間行列を強いられても苦情一つ言わず待っていたのだろう。そしてその溜めたエネルギーが爆発したのが、李香蘭演じるアメ売り娘が「売糖歌」を歌いながら登場するシーンでの拍手であり、どよめきであったのだろう。
「『萬世流芳』は中華電影の川喜多長政さんと張善[王昆]さんがプロデュースしました。監督も5人、俳優も陳雲裳さんや袁美雲さんらトップスター5人で、よくそろったなと思うくらいでした。アヘン戦争で中国がイギリスと戦うという内容でしたが、中国人は抗日の意味を読み取っていました。それで日中双方で大ヒットする作品になりました。見る人によって解釈が違う。それも映画の力ですね」
山口さんは懐かしそうに振り返る。
母の話もした。「お元気ですか。そうですか」
同世代へのいたわりと共感。一瞬、言葉が和らいだのを感じた。
女優時代は超多忙で自分の作品をほとんど見ていないという山口さん。フィルムセンターなどで『萬世流芳』を再上映する機会があれば是非見たいという。
また今回は2回しか上映されず見損なったファンが大勢いると聞いている。私もこの作品がDVD化されたら即購入したい。どこかそんな会社ありませんか。【紀平重成】