第716回 「パドマーワト 女神の誕生」
インドで16世紀に作られ、以後500年も民衆の間で語り継がれてきた愛と誇りの物語「パドマーワト」。その伝記によれば、絶世の美女と噂のメーワール王国の王妃パドマーワティに横恋慕したイスラム教国の国王アラーウッディーンは2度にわたってメーワール王国に大軍を差し向けた。強者が弱者をねじ伏せるのは時間の問題。だがインドのトップ女優ディーピカー・パードゥコーン演じるパドマーワティの知恵と誇りの前にアラーウッディーンは目的を果たすことができなかった。
もとになった伝記自体が想像をめぐらせた歴史物語であり、むしろ分かりやすく楽しめる内容にボリュームアップされていることだろう。その映画化である本作は人間ドラマとしてもさらに見ごたえがあり、知力と度胸をかけての駆け引きや後半のスペクタクルな合戦シーンと合わせ存分に楽しむことができる。
13世紀末、インド西部メーワール王国の若き王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)は、南のシンガール王国へと足を運び、偶然にも同国の王女パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)と出会う。狩りの得意なパドマーワティが誤ってラタン・シンを傷つけてしまい、傷が治るまで逗留したラタン・シンは、パドマーワティと恋に落ち結婚する。
同じ頃、北インドでは義父を暗殺した若き武将アラーウッディーン(ランヴィール・シン)がイスラム教国の王の座を手に入れ、領土を広げていた。絶世の美女パドマーワティの噂を聞きつけたアラーウッディーンは、メーワール王国に派兵するが、ラタン・シンの策によって彼女の姿を見ることができなかった。領土と美女への野心を募らせたアラーウッディーンはラタン・シンを強引にも拉致し、パドマーワティを城におびき寄せようとするが……。
ご覧のようにイスラーム教国の国王アラーウッディーンは悪人として、またメーワール王国のラタン・シンは善人として紹介されている。国王だけでなく部下にはメーワール王国を裏切ってアラーウッディーンに仕官した僧侶や、後年アラーウッディーンに代わってインド南部の各国を攻め立てる宦官のマリク・カーフールもいた。国王が残忍なら仕える部下も狡猾で獰猛な者が集まるとでも言うように描かれている。
一方、メーワール王国のラタン・シンの部下には忠臣が多く、幽閉されていた国王が脱出する際に命の保障もない後衛を志願するなど忠誠心の塊のような臣下もいるという描き方だ。また国王自身、戦は武力も大事だが、それより「義」を重んじるという考え方。見方によってはお人好しともとられかねないが、だからこそ拉致される恐れがあっても単身で相手の陣に乗り込んだのだろう。
善人と悪人という演出は分かりやすいが、史実ではアラーウッディーンによってメーワール王国の居城チットールは一時的に陥落するとされており、歴史書のとおり強者が弱者をねじ伏せるだけの話で終わっては面白くない。そこでサンジャイ・リーラ・バンサーリー監督は工夫を重ねたに違いない。歴史書に名前はあっても実像がはっきりしないパドマーワティに着目し、賢く勇気があり美しい、女性も夢中になる女っぷりのいい人物に膨らませたのだろう。
彼女の活躍の詳細は控えるが、愛と誇りを重んじるメーワール王国は戦には負けても名誉を守ることになる。それを決断したのはパドマーワティ自身である。また絶世の美女を一目だけでも見たかったはずのアラーウッディーンが3度にわたってことごとくチャンスを失したのはなぜか。果たして彼女が本当に美人だったのかどうかを想像させるには面白いエピソードだが、伝聞だけで大軍を派遣し多くの将兵を死なせてしまった暴君の愚かさを笑っているのだろうか。洋の東西を問わず愚かな判断をしがちなトップが多い昨今の風潮への警告かもしれない。
ところで存在感の薄いアラーウッディーンの妻について触れたい。一度だけ自身の判断で物語の展開を大きく左右する行動をとる。夫にとっては裏切り行為だが、その美しくカッコいいこと。歴史を動かすのは孤立しがちな女性の連帯?と思わせる活躍ぶりだ。豪壮な宮殿、ぜいたくな衣装、合戦の迫力、と他にもお楽しみのシーンは多いが、見どころの一つになっている。
インドでは公開前に「ヒンドゥー教徒やメーワール王国のラージプート族を侮辱する内容が含まれている」という批判もあったが、ふたを開ければ観客が殺到し、最終的には近く日本公開される「SANJU/サンジュ」に続いて2018年第2位の興収を上げている。
「パドマーワト 女神の誕生」は6月7日よりアップリンク渋谷ほかにて順次公開
【紀平重成】