第777回「Meeting The Beatles in India」
ビートルズが好きな人は多い。かく言う私も団塊の世代の一人で、学生時代、彼らの曲を聴かない日は無かった。そんな私だが本作には初めて見る貴重な写真だけでなく、愉快なエピソードの詰まった話も多い。本作品を見る人はジョン・レノンら4人のメンバーがさらに魅力的に見えてくるだろう。
映画はまずビートルズの1ファンに過ぎなかったカナダ人、ポール・サルツマン監督が体験したミステリーのような話からスタートする。
ある日ベッドで寝ていたサルツマン監督は、写真の仕事で行き詰まりを感じ「どうしたらいい?」と自らに尋ねた。すると心の中から「インドへ行け」という声が聞こえたという。インドなら瞑想で知られるマハリシの僧院アシュラム(リシケシュ)が有名。言われるまま行ってみれば、なんとマハリシの招きでビートルズも瞑想を習い、曲作りに励んでいると分かった。こんな偶然は滅多にない。撮影許可を求め日参する監督の熱意にほだされたのか8日後、許可はようやく下りたという。
監督は「私の思いが本物かどうかきっと試していたのだろう」と話す一方で、「毎日の瞑想で私にも彼らにも寛容な心が満ちていたのかもしれない」と振り返る。
心静かに瞑想することと作曲で想いを巡らすことの間には、不思議なほど相性の良さがあると様々なアーティストが映画の中で繰り返し語っているが、巨匠のデヴィッド・リンチ監督もその一人。「でも8日も待ち続けたなんてすごい」とサルツマン監督の熱意を褒めたたえる。
ビートルズの4人が帰国後に発表した「ホワイト・アルバム」には名曲「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」「コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル」など30曲を超える作品が並んでいる。瞑想を繰り返すことがいかに心身を平和に保ち、良い作曲につながるかを見事に表しているように思う。
曲作りの最中に撮られたフィルムには日ごろはお目にかからないような映像も混じっている。「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」は陽気なテンポの良曲だが、メンバーの中には出来立てホヤホヤのこの新曲の歌詞を覚えきれず、手書きの歌詞カードを風で飛ばないよう足で抑えながら歌っている者もいて微笑ましい。
ビートルズと言えば1965年にエリザベス女王から授与された勲章を返却したエピソードはあまりに有名だ。女王は9月8日に96歳で亡くなったが、次に紹介するエピソードはジョンをはじめとする当時のイギリス人の市民感覚の一端に触れる部分として興味深いものがある。
映画の中では撮影取材が認められてから間もないころの出来事として紹介されている。ちょうどお茶を楽しんでいる最中の彼らに近づいていくと、皮肉な発言の多いジョンが監督の顔を見るなり「君はアメリカ人だね」と尋ねた。「カナダ人だ」と答えるとジョンは同席のみなに向かって「植民地からきたそうだ」と言い、その場にいた人々はみな笑った。反応が良かったので気を良くしたのかジョンは「まだ女王陛下を崇拝してるのかい」と追い打ちをかける。そこでサルツマン監督は「個人的には違う」と答えた。この回答にジョンが十分に満足したかどうかは分からないものの、すぐにポール・マッカートニーが「でも女王は君たちと暮らしている」と反応した。その場は笑いに包まれたが、とどめのコメントはやっぱりジョンの次のような一言だった。
「植民地ではまだウイットが健在らしい」。
未だに植民地を抱える連合王国へのジョン流の皮肉の冴えを感じさせるとともに、ポールの優しい気づかいも感じられて、ビートルズの多様な一面を見た思いがした。
本作品を見ると名声は世界的でも、考え方はどこにでもいそうな若者という気がする。作曲中は何度も繰り返し歌い、ギターを弾く。速く弾いたり遅くしたりと笑いながら楽しんでいる。サルツマン監督は作曲が上手くいったときの彼らの表情から名曲が生まれるにはいくつかの条件があることを初めて知ったと語る。それは喜び。創作から喜びが生まれ、喜びから曲が生まれる。たまたまポールと目が合った際に「(出来た作品は)まだこれしかないんだ」と笑みを浮かべたポールの生き生きとした表情。そのポールと放心したように歌い終わるジョン。どちらの表情もこれまで見たことがないほど美しかった。
ビートルズがインド文化に関心を持ち、影響を受けていったのは仲を取り持ったジョージ・ハリスンによるものと思っていたが、ジョンとポールのリラックスした表情を見ていると、その影響はもっと深いものだったという気がする。最近のインド映画では打楽器で作られたリズミカルな音楽が効果音として印象的に使われている。ふと考えた。インド音楽がビートルズを変えたのか、それともビートルズが逆にインド音楽を変えたのか。いやその両方かも知れない。