第401回 「12Lotus」のロイストン・タン監督に聞く

ロイストン・タン監督(2012年5月12日筆者撮影)
「Sintok シンガポール映画祭」に招かれて来日したロイストン・タン監督にインタビューした。日本初上映された「12Lotus」(12蓮花)の舞台裏から文化伝播のダイナミズムまで、話は“越境に次ぐ越境”で、監督の並々ならぬ才能を感じることができた。
映画祭のオープニング作品となった「12Lotus」は同監督の前作「881 歌え!パパイヤ」に続き歌台(ゲータイ)を背景にしたミュージカルだ。ゲータイは先祖の霊を供養するために独自に発展してきた同国の華やかな歌謡ショー。同じジャンルを続けて撮ったのはなぜかと最初に質問した。
「『881 歌え!パパイヤ』を撮って、リュウ・リンリンさんと知り合い、すごくインスパイア(啓発)されました。この『12Lotus』は彼女の実生活が反映されています。(主題曲である)『12蓮花』を聞いた時に本当に曲が僕に“映画を作って”と訴えてくるような感じがしました」
物語はギャンブル好きの父親に育てられ、ゲータイのスターを目指した少女の夢と悲しい運命を描く。ヒロインの中年期をシンガポール福建歌謡界の大スター、リュウ・リンリンが、若き日を「881 歌え!パパイヤ」の小パパイヤ役ミンディ・オンがそれぞれ演じている。
最初は父親に、その次は非情な男に翻弄される主人公のリエンホア。悲哀に満ちた彼女の人生にかぶせるように「痛みのない愛はない、愛は痛みを伴う」の言葉が流れる。
「愛は麻薬のようなものだと思います。つまり痛みを伴うけれども、一度それを知ってしまうと、もうそれなしには生きられない、それから抜けられないということですね」

「12Lotus」の一場面。若き日を演じるミンディ・オン
前作でも感じたことだが、監督の歌へのこだわりが際立つ。
「映画は僕の頭の中そのままなんですね。何か鬱積したり行き詰ったときに、僕はパッとスイッチが切り替わるんです。頭の中で音楽が鳴りだして、まるで別の空間でミュージカルがいきなり始まるようにね。そんな僕の頭の中を映像化しました。実は夢の中でも結構ミュージカルを見てるんですよ」(笑)
その切り替えが鮮やかで、観客を心地良い歌の世界に誘う。
「ミュージカルってなぜあのように歌が入るかというと、それはセリフとか何かで言い表せないものが歌で一番表せるので、あのような形態になっているのでしょう。僕の場合も言葉で形容できない時に音楽に代弁させています」
ただ、監督の感覚が他の人と違うのは、哀しい物語には哀しい曲をではなく逆に軽快で楽しげな歌を繰り返し流すことだ。
「そうなんです。コントラストをつけたかった。非常にムードが暗くなった時、そこにちょっと希望を見出したい。どう考えても悲惨極まりないですよ、彼女の人生は。もし僕が彼女の立場なら、きっと明るい歌を歌って自分を救済すると思います」

「12Lotus」の一場面。中年期のヒロインを演じるリュウ・リンリン
映画ではリエンホアの好物のクラッカーやタバコ、大事にしている万華鏡と観音様が繰り返し出てくる。人生には麻薬のようなものが満ちていて、生きていくためにしばし夢を見させるものが必要と主張しているようにも読み取れる。その真意は。
「だれでも自分を救済する小道具を持っていると思いますよ。作品で使った物は実際に僕がリンリンを観察して取り入れたものなんです(笑)。 彼女には実際にあったことも描くけどそれでいいかと聞きましたら、いいよと言ってくれて、僕たちの間ではすごく信頼関係がありました。初めて作品を見た時、彼女は泣いていました。想像で描いたところはあっても、実際と近かったんじゃないかと思います」
ここで話は次第に文化伝播の妙とでもいうべき方向に向かいだす。シンガポールには中国からの移民が多く住むので、彼らの“母国”中国ではシンガポール映画がどう見られているかを尋ねたところ、「ショックを受けるようです」と切り出した。
「彼らはシンガポールは発展した国だと思っているのに、今では中国で使われていない言葉や音楽など古い中国文化がそのまま残っていると感じるからです。おもしろいのは『12蓮花』という元々台湾にあった曲がシンガポールに来て現地化している。台湾は植民地だったこともあり日本の影響を受けています。ですからこの曲は元々日本のものだと思うんですね。普段は何にも思わないんですが、この曲を日本で聞くと、曲がちょうど1周して日本に戻ってきたことになるので、日本の人たちがどう思うかとても気になります」

「881 歌え!パパイヤ」の一場面。監督自らデザインした衣装がすばらしい
言われてみると確かに日本の演歌のノリで非常に似ている。しかも福建語と台湾語は非常に近いので、福建省からの出身者が多いシンガポールの人に受け入れられやすかったのかもしれない。
監督のルーツも聞いた。曾祖父母の時代に福建省から移住。母方の祖父にはインド系の血が入っているという。
「母の兄弟はみんな180センチ以上あります。あとすごく毛が濃い。ほら(笑)」と袖をまくって見せる。
気になってタンの文字を聞くと、意外にも「唐」ではなく「陳」だった。北京語読みではチェンだが福建語だとタン。巨匠チェン・カイコー監督と同じである。「ええ、でも彼とはつながっていません」(笑)
それなら名前の読み方で中国の出身地が分かりそうだが、役所に届け出た当人ではなく窓口の人の出身で読み方が自動的に変わる場合もあるという。たとえ北京語読みの人が届け出ても、窓口の人が福建出身なら福建語読みにされてしまうという風に。中国大陸の様々な地域から移民を受け入れてきた同国ならではの現象であろう。
最後に映画祭の感想とアイデンティティーを大事にするシンガポール映画の将来について尋ねた。
「日本は特別な場所です。『15: The Movie 』が検閲で大変だった時、日本で撮影のオファーがあったり映画祭が開催されたりして、この10年を振り返ると日本、それに韓国は本当に支えてくれた国です」と感謝をこめる。

「881歌え!パパイヤ」の華やかなゲータイ用衣装
続けてシンガポール映画の現状はアイデンティティーを大事にして模索している状態としつつ、「でもやがてメインストリームに迎合して行き、だんだんお金を作るための映画になっていかざるを得ないと思います」と冷静に分析。その中で監督の立ち位置はどのようになるのだろうか。
「まさにそういう葛藤があります。どうやって芸術性とコマーシャリズムを両立させるか、折り合いの付けどころをどうするかという葛藤です。エグゼクティブプロデューサーがすごくいいことを言うんです。エンターテインメントに優れているもの=安っぽくて中身がないとは限らない。ちゃんとエンターテインメント的な要素がありながら、芸術性を兼ね備えたものもあると。それが目指すところかなと思います」
次回作がとても楽しみだが、「12Lotus」(08年)の後は作っていない。
「そうなんです。プロデューサーたちが逃げていくので(笑)」
「881 歌え!パパイヤ」をあんなにヒットさせた監督だというのになぜ?
「『「12Lotus」』の後、プロデューサーが持ってくる企画と言うのがみな同じ。テレビコマーシャルの依頼までもゲータイなんですよ。もう路線を変えないとだめです」
台湾のウェイ・ダーション監督が「海角七号 君想う、国境の南」で稼いで「セデック・バレ」の撮影資金の一部を作った話をすると、「僕の場合は事態が深刻なんです。僕が町を歩いていると、ああ、“パパイヤ”と呼ぶんですから(笑)。自分の個性を新たに確立しないと」
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【関連リンク】
「Sintok シンガポール映画祭」の公式サイト
http://www.sintok.org/