第405回 オロ少年は「ありがとう」と言った
「オロ」は6歳の時にチベットからインドに亡命した少年の物語。こう書くと政治的な作品と思われがちだが、むしろチベット問題を描くドキュメンタリーであると同時に、岩佐寿弥(ひさや)監督が主人公と3年にわたって紡ぎ上げた少年の成長物語と言った方がいいかもしれない。
この映画の素晴らしさは、ともかく見ていただくしかないのだが、成功の大部分は少年オロを見つけたことに尽きると断言してもいいだろう。お茶目で聡明そうな眼差し。野原でいきなりカンフーを演じ、最後はちょっと照れた表情でお辞儀をする。かと思えば笑顔にふっとよぎる暗い影。日常の姿をそのまま描いたからこそ魅力的なキャラクターが見る者を引きつけるのだ。
そんな彼には辛い体験があった。6歳の時、「しっかり勉強するんだよ」と母親に背中を押され故郷のチベットから亡命を決行。しかし、その途中でシガツェという町にひとり置き去りにされ、飢えをしのぐため「僕を買って」と食堂に売り込み、半年間にわたって下働きをした。給料は出ず寝るところも屋外の草のむしろだったという。
実はこんな体験も少年のトラウマとなっていたのか、自ら話そうとはせず、撮影が始まってから偶然語られたものだ。
映画はチベットの少年を主人公にしたドキュメンタリーを撮りたかった岩佐監督が、インド北部のダラムサラにある難民受付センターやチベット子ども村、ネパールのポカラにある難民キャンプ等でロケハンも含め4度にわたって現地入りして撮ったものである。
ドキュメンタリーなのに監督はかなり演出をしている。「ヨーイ、スタート」と言って少年に狭い路地の多いダラムサラの階段を何度も歩かせて、とメイキング風のカットを入れるかと思えば、なんと監督自身が少年と並んで話し始めたりと、ドキュメンタリーらしからぬ自由奔放な作り方をしている。
本来は見せないところをあえて見せることで、結果的に映像全体のリアル感が増してくるのだ。
ところが“演出”を超えて、いつの間にか事態の方が動き出す。たとえば少年のオロが様々な出会いを栄養とするかのようにどんどん成長していく。チベット難民受付センターで亡命してきたばかりの青年には「ここで英語をしっかり学ぶといいよ」と年少ながらもアドバイスまでする。
冬休みには監督が10年前に作った映画の主人公、モゥモ・チェンガという難民一世の高齢女性に会いに行く。おばあちゃんと孫のようにすぐ親しくなって両手で相手の手を包み込むように温め合うかと思えば、彼女の親戚の三姉妹とも打ち解け家族の温もりを味わう。亡命時の過酷な体験を語ったのはこの時だった。
ダラムサラに戻る前にオロは募る母への思いを込めて自分の言葉で祈る。「みんなチベットのために頑張っています。中国に負けないよう僕も頑張ります。早く独立できますように。お母さんに会えますように。みんな故郷に帰れますように」
いつの間にか背も高くなったように見えるオロ。岩佐監督にこう尋ねる。「なんで映画を撮るのですか。お年寄りなのにしんどくないですか」
少年の思わぬ気遣いと好奇心あふれる問いに監督は笑いながらこう答える。「しんどいけど、おばあちゃんと少年の映画を撮りたいからね」
それを聞いて少年は満足そうに笑みを浮かべる。「ありがとう」
「オロ」は6月30日より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開【紀平重成】
注1)受難がつづくチベット (「オロ」公式サイトの作品解説より転載。以下同じ)
ヒマラヤ山脈の北側に広がる「世界の屋根」に存在したチベットは、いまは中国の一部になっている。1959年に指導者ダライ・ラマ14世が亡命、インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立した。現在のチベット難民数はインド・ネパールを中心に全世界で約15万人と言われている。
注2)チベット子ども村
Tibetan Children’s Villages(略称TCV)。中国で危機に瀕するチベット語、チベット文化の教育機会をこどもたちに与えたいというダライ・ラマ14世の意向で1960年に設立された。現在はインド各地で7校が運営され、約15,000人が学んでいる。
【関連リンク】
「オロ」の公式サイト
http://www.olo-tibet.com/