第410回 「アニメ師・杉井ギサブロー」の生き方

「アニメ師・杉井ギサブロー」の公開用チラシ(拡大すると、右上に杉井監督の手がけた「鉄腕アトム」などの作品の並んでいるのが分かる)
いきなり米大リーグの話で恐縮だが、イチロー外野手が名門ヤンキースに移籍したことは日米のプロ野球ファンを大いに驚かせた。しかし、移籍を決断した理由として「環境を変えて刺激を求めたい」と語ったことは、今季の不振を聞くにつけ、妙に納得させるものがあった。38歳。体力の衰えはいかんともし難い。個人差はあるにしても、年齢と運動能力の相関関係はきわめて強いのだろう。個人的には環境が変わることでイチロー選手の闘争心に火が着き、見事な復活劇のヒーローになることを期待しているのだが……。
これがほかの分野、たとえばアニメーションの世界ではまた事情が違うようだ。統計をとった訳ではないが、この世界は体力より経験がモノを言うらしい。その好例がアニメーションの黎明期から第一線で活躍し続ける71歳の現役監督、杉井ギサブロー氏である。
こう書いて、すぐ反応する人はかなりのアニメーションおたくではないか。現在公開中の手塚プロダクション製作「グスコーブドリの伝記」の監督と脚本を担当。というより「鉄腕アトム」「タッチ」「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」など日本のアニメ史に輝く多くの作品を手がけた監督と言った方が分かりやすいかもしれない。この三つのどの作品も見ていない人はそうはいないはずだ。

杉井ギサブロー監督が手塚治虫と並んで師と仰ぐ大塚康生
間もなく公開されるドキュメンタリー「アニメ師・杉井ギサブロー」はそんな彼の個人史であると同時に、クールジャパンと持てはやされ、世界をリードする日本のアニメーションの歴史をも体現する男について、膨大な映像資料を生かしつつ描いた石岡正人監督の力作である。

手塚治虫が亡くなった時は「親父が亡くなったみたいにさみしかった」という
ともかく杉井氏がかかわった作品の多さに驚かされる。そして挫折と復活という人生の浮沈も身につまされる。
1951年、11歳の時にディズニーの「バンビ」を見てアニメーションを一生の仕事にしようと決意した少年は、「白蛇伝」を手掛けた憧れの東映動画に入社したものの同社の企画に飽き足らず、12歳年長の手塚治虫が設立した虫プロダクションに参加した。
しかし、ここでも戸惑うことの連続。手塚治虫が国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の制作にあたり、日程の都合から、動きが少ないリミテッドアニメーションを採用したのに対し、ディズニー方式のフルアニメーションにこだわる杉井氏は手塚の考案したものを「貧乏アニメ」と冷ややかに見ていた。ところが音を入れてみるとあまりにも面白いのでショックを受ける。そして作品は40%を超える視聴率を稼いだ。

「グスコーブドリの伝記」での打ち合わせ。中央が杉井ギサブロー監督
「自分(の考え方)が徹底的に壊されました」と彼はインタビューで答えている。
その後、後進を育てられないからと独立し、外部のプロダクションとして虫プロに参加するものの、「悟空の大冒険」ではスポンサーと衝突し総監督を降りるなど、波風の多い人生が続く。30歳代半ばからの10年間は仕事や家族を置いての放浪生活だった。
しかし、その間もアニメーションと無縁だったわけではない。家族の生活を支えるため、テレビの「まんが日本昔ばなし」の絵コンテを描いて旅先から送ったり、丘の上から街の明かりを見降ろして人間の生と死を考えた。
「夕方が一番いやだね。人恋しくなるから」
その姿は、後年「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」を作ったとき、同じように街の明かりを見降ろすジョバンニの姿と重なる。
「180度ものの考え方が変わった」と杉井氏は振り返る。放浪の体験が作品に生きたということだろう。

アニメーションの世界で孤高の人、巨人ともいわれる杉井ギサブロー監督
頑固なようで、すべてを投げ捨てる柔軟性や思い切りの良さも併せ持つ。「当たる映画を作りたいのではない。周りが絶対当たらないというものを当てたい」と挑戦的な言辞を吐くかと思えば、放浪中の旅先で読んだ、あだち充の「ナイン」に感銘する。そこに情感を感じたからという。
それがきっかけで「じわパン」と呼ばれるゆっくりカメラを動かす撮影法を会得し、アニメーションの世界に情感をもたらすことに成功するのだ。
作っては壊し、また作る。そんな繰り返しの人生がすでに半世紀を超えた。しかも映画の中にも出てくるが、倒産した虫プロの後継組織ともいうべき手塚プロダクションにはかつての仲間が今もなお現役として働いており、「グスコーブドリの伝記」の制作にも関わっている。師と仰ぐ手塚治虫以来のアニメ制作のDNAは着実に受け継がれている。
体力より経験。そしてその経験すらも打ち壊す勇気。常に新しい要素を取り込もうと貪欲なアニメーションの世界。その最前線を今なお歩き続けようとしているのが杉井ギサブローなのかもしれない。
「アニメ師・杉井ギサブロー」は7月28日より銀座シネパトス、京都みなみ会館ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「アニメ師・杉井ギサブロー」の公式サイト
http://www.animeshi-movie.com
「グスコーブドリの伝記」の公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/budori/