第413回 鳥のように飛べ「プンサンケ」
一度噛(か)んだら放さないという一途(いちず)な性格の北朝鮮原産狩猟犬「プンサンケ」(豊山犬)を映画のタイトルにしたところに、チョン・ジェホン監督の思いが込められている。分断国家を早く終わらせたいという強い思い。それは制作と脚本も兼ねたキム・ギドク監督にも共通する思いである。
なにしろ脚本がすばらしい。というよりぶっ飛んでいる。朝鮮半島を南北に分断する38度線を飛び越えて、ソウルとピョンヤンの間を頼まれれば何でも3時間以内に配達する男プンサンケ(ユン・ゲサン)の話だ。
兵士が常時警戒する軍事境界線を越えるのだから命がけ。身元不明、一切言葉を発せず、北朝鮮製の煙草「豊山犬」を吸うため、その名がついた。
運ぶのは離散家族の手紙やビデオメッセージ、時に幼い子供まで。そんなある日、亡命した北朝鮮元高官の愛人イノク(キム・ギュリ)を北朝鮮から連れてきてほしいという依頼が入る。元高官から機密情報を早く引き出したい韓国情報員が見返りに提案した“ご褒美”だ。
プンサンケはこの配達も見事に成し遂げる。しかし、このミッションには最初から無事では済まない危うい気がこもっていたようだ。何度も死を覚悟するほどの危機に見舞われたことで、プンサンケとイノクの間には連帯感とも恋情ともつかぬ不思議な感情が湧きあがる。
またプンサンケは報酬をもらえるどころか韓国情報員の裏切りにあい拘束される。一度は逃げ出すものの、今度は二人の仲を疑う元高官の手で再び囚われの身となる。そこに元高官暗殺を狙う北の工作員が介入し、もはや予測不能の事態に。そして双方から激しい拷問を受け、プンサンケはこうただされるのだ。「おまえは北と南、どっちの犬だ」と。
脚本を書いたキム・ギドク監督は制作の動機をこう語っている。
「誰が間違っていて誰が正しいかを論じ続ける限り、平和的な統一は実現できないでしょう。今や過去のすべてを水に流し、お互いに真に理解し合おうと努める時です。南北朝鮮それぞれの良い点は伸ばし、世界でうまく共存する方法を見つけねばなりません。私は、南北の人々が一緒に集える日が一日も早く来るよう、プンサンケが銃撃される危険性を冒して越えたあの非武装地帯に、自然公園が作られることを望んでいます」(公式サイトより)
この言葉を少し変えるだけで今の日韓関係をぎくしゃくさせている竹島問題と見事重なることに驚く。「平和的な統一」は「日韓友好」に、「非武装地帯」は「竹島」に置き換えることで。ついでながら、本来は美しい竹島に要塞のようなコンクリートは似合わないと付け加えておこう。
もう一つ感じるのはキム・ギドク監督の神のように高所から見つめる俯瞰の目である。公平で迷いがなく慈悲深い眼差し。
チョン・ジェホン監督も続ける。「プンサンケというキャラクターは南北どちらにも属していないという設定ですが、彼は平和の象徴としてこの物語に登場しています。おそらく韓国に住んでいる人であれば、誰でも休戦ラインを越えたい、鉄条網を鳥のように自由に飛んでいきたいと思っているはずです。プンサンケも鳥のように休戦ラインを飛び越えていきました。統一を祈願する韓国人の思いをあのシーンに込めています」(第12回東京フィルメックスの監督Q&Aより)
プンサンケは平和の使者であり架空のスーパーヒーローなのだろう。彼が何度も鉄条網を飛び越えるという内容はまるで現代のおとぎ話のように見える。しかしよく考えてみると、60年以上にわたって同じ民族が鉄条網をはさんでにらみ合うことの方が非現実的で、たちの悪い冗談と言えないだろうか。
この映画には師匠のキム・ギドク監督を彷彿とさせる美しいシーンが随所に見られる。たとえば北の工作員にとらわれたプンサンケとイノクが手足をしばられながら、それでも命を省みず互いに体を寄せ合い唇を重ねるシーン。これほど官能的で美しい愛の表現は、まず見たことがない。
一方数々の拷問を耐えに耐え、また鉄条網を越えようと非武装地帯を走るプンサンケの高倉健を思わせるような禁欲的な表情も詩的に美しい。
考えてみると将来を嘱望されたオペラ歌手の仕事を投げ捨ててキム・ギドク監督に師事したというチョン・ジェホン監督のもう一つの才能が映画の中に視覚的に投影されているのかもしれない。
また楽しみな監督が韓国に誕生した。
「プンサンケ」は8月18日よりユーロスペースほか全順次国公開【紀平重成】
【関連リンク】
「プンサンケ」の公式サイト
http://www.u-picc.com/poongsan/