第417回 宮古島へ誘う『スケッチ・オブ・ミャーク』

「スケッチ・オブ・ミャーク」の一場面(c) Koichi Onishi 2011(以下同じ)
まるで「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見た時のような心の底から湧き上がる深い感動を観客は覚えるかもしれない。沖縄の宮古島で歌い継がれる労働歌であり、生きることと信仰が一つになった「アーグ(古謡)」や「神歌(かみうた)」。厳かに、ひたむきに歌うお年寄りたちの姿は哀感が漂い美しい。失われようとしている記憶を今にとどめる貴重な映像だ。

笑みを浮かべ歌う長崎トヨさん
このドキュメンタリーは大西功一監督と作品の原案者で音楽家の久保田麻琴が島の豊穣な歌に出会ったことから制作が始まった。これらはもともと暮らしの中の歌として何世紀にもわたりひっそり歌い継がれて来たものだ。
宮古は薩摩の支配下にあった琉球王朝からさらに支配され、“人頭税”という過酷な取り立てに苦しんだ。アメリカの黒人が歌うブルースやアイルランドの民謡など差別を受ける側は情念あふれる歌を紡ぎ出す。宮古島も例外ではなかった。

五穀豊穣と大漁を祈願するミャークヅツで踊る男衆
お上に娘を奪われた悲しみを詠嘆する歌があるかと思うと、役人の愛人になって恥ずかしいので私もよそに連れてってと頼む歌、姉が子守をしながら背中の弟妹に首里へ行って立派になりなさいと諭す歌、さらに長く厳しい労働に耐えるため作業中に声をそろえる歌……。圧政に苦しみつつ、その中でひたむきに生きる姿が織り込まれている。
美しい風景を歌ったものもある。日中、川のほとりで大勢の子が水遊びをする。夕方になると仕事帰りの若い男女が水浴びで汗を流す。村が繁盛するという内容の歌。かつて島ではどこでも見られた風景。だが「昔の面影はない」と高齢の女性がつぶやく。
とりわけ貴重なのは、島と切っても切れない神歌の映像が収録されていることだ。島外の人には目に触れる機会のほとんどなかった「御嶽(うたき=霊場)」の神事で歌われる神歌の収録を、1917(大正6)年生まれの高良マツが「(カメラの前で)歌っても神様は怒りはしない」と久保田麻琴の求めに応じた。ここから、この作品が具体化したという。

神事を担った元神女達のハーニーズ佐良浜のメンバー
神事に関わったことのある高齢女性が次々とカメラに向かって話す。「神女達(ツカサンマ)になることは夢のお告げで覚悟していた」「神事を途絶えさせないために(自分が神女達を)やるしかないねえ」「神様が怒ると大変だから毎朝祈る。いつでも神様はいらっしゃる」。
歌うことは、神とひとつになること、と信じる彼女たちの表情はおごそかで不思議な懐かしさに満ち、見る者の心を打たないではおかない。

祈る村山キヨさん
130人からなるその声は、1、2キロ離れていても風のある日には聞こえるという。なんという力、そして思いの深さだろう。
2009年、90歳を超えたおばぁたちが東京に飛び、草月ホールで神歌を披露した。自信に満ち、慎み深く、そして衰えぬ気力。もう他では聞くことのできない歌声に観客は酔いしれる。
後継者として期待され現在中学生の野球少年、譜久島(ふくしま)雄太も力強く朗々と歌う。歌詞を間違えて悔し涙を流す姿がまたいい。
そして舞台と客席の交感が最高潮に達するラスト、おばぁたちも聴衆も神のお告げを聞いたかのように至福の表情で踊り出す。秘められた神歌が21世紀の日本に突如舞い降りたかのように見えた。
生きることと信仰と歌が一つになった暮らしを今の世界に復活させることの困難さを思いつつ、なお憧れてやまない世界がある。それを一瞬でも現出させたことに、この作品の価値は十分にあるだろう。
「スケッチ・オブ・ミャーク」は9月15日より東京都写真美術館ホールほか全国順次公開。【紀平重成】
【関連リンク】
「スケッチ・オブ・ミャーク」の公式サイト
http://sketchesofmyahk.com/