第420回 「壊された5つのカメラ~パレスチナ・ビリンの叫び~」

ジブリールが生まれたときに買ったカメラで撮り始めてから5年。幼さに代わって少年の顔立ちがが凛々しい (c) Emad Burnat
四男の誕生をきっかけに撮り始めた個人史的映像が、気が付いてみればパレスチナの今を切り取る優れたドキュメンタリーになっていた。「危険な撮影はやめて」と妻から再三の忠告を受けながら、生死をさまよう重傷を負っても撮り続けた男のこだわりとは? その答えは壊れた5台のビデオカメラと映像の中にある。
ごく普通の農民であったイマード・ブルナートは四男ジブリールが生まれるとカメラを手に入れ家族を撮り始めた。目のクリッとしたジブリールはあどけない仕草が可愛い人気者だ。どこにでもある家族の風景。しかし、ここはパレスチナのヨルダン川西岸にあるビリン村。1967年の休戦ラインよりはるか東側(パレスチナ側)にイスラエル軍が分離壁を建設し始めたため、オリーブ畑を営む農民たちは収入源を奪われかねない事態となり、壁の撤去を求める非暴力の抵抗運動を始めた。

カメラを壊されたイマード監督(右) (c)Friends of Freedom and justice – Bil’in
デモをすれば催涙弾と逮捕。小屋を立てれば撤去とオリーブの木の焼き打ち。情け容赦のないイスラエル軍と入植者たちの仕打ちに、イマードは村人たちが抵抗する姿を映像に残さないわけにはいかなくなった。
撮影許可のあるなしにかかわらず、イマードの行為は危険だ。イスラエル軍を正面から見据えるデモ参加者の目線で撮るので、カメラを構えたイマードはかえって目立ち標的にされやすい。05年の撮影開始から10年までに、ほぼ毎年のようにビデオカメラを壊され、映画完成時は6台目に達していた。

顔に絵の具を塗って、これからどんな遊び? (c)Jamal Aruri(以下同じ)
とくに3台目はカメラ本体に被弾した。カメラに埋まったままの命中弾を見たとき、彼はカメラに救われたという思いと命のはかなさを感じたという。
領土争いは解決が難しい。貴重な収入源であることを知りながら、オリーブの木を暗闇に乗じて焼き打ちにする入植者たち。家庭では良き父親が外では“鬼”と化す。「このオリーブの木に罪はない。木が何をしたというのだ」と村人は叫ぶ。同じ人間同士なのに、どこでずれてしまうのか。ジブリールの誕生祝いの歌が唱和される。イスラエルの入植地でも同じ歌が歌われることだろう。

オリーブの木にしがみついて抵抗するビリン村の男。背景の建物はイスラエルの入植者用住居
イマードの家にイスラエルの兵士がやってきた。「イスラエル軍はこの地域を軍事閉鎖区域と定める。居住者は直ちに退去すること」。そのやり取りもイマードは写し続ける。「カメラを下ろせ」「自宅で撮影して何が悪い」
現に住んでいる自分の家なのに、立ち退きを求められる非情さ。一体誰が補償してくれるのか。国や軍が出てくると事態は個人の手ではどうにもならなくなる。どこかで見たような光景。オスプレイ配備に揺れる沖縄、そして原発事故をめぐる対応。問答無用という国家の横暴性が顔をのぞかせる。

分離壁近くで遊ぶジブリールは何を思う
村民の小さな、しかし息の長い抵抗運動が徐々に知れ渡っていく。政治家も再三やってきた。分離壁の違法性が司法の場で認められ撤去を勧告される。小さな勝利だ。1年余の“放置”の後、ようやく鉄条網の古い壁は撤去される。そしてより強固なコンクリートの新たな壁がイスラエルの入植地近くに建設され始める。
5歳になったジブリールはあどけなさが消え、少年の顔立ちが凛々しい。背丈の何倍もある新しい壁に「ジブリール」と自分の名前を書きこんだ。抵抗運動を見続けた彼の記憶は確実に受け継がれていくことだろう。
ガイ・ダビディ監督とともに共同監督となったイマードはつぶやく。
「何度も傷つくと古い傷のことを忘れてしまう。忘れられた傷は癒(い)えない。だから私は傷を癒やすために撮り続ける」
弟たちがイスラエル軍に逮捕された時も、車の前に立ちはだかる両親を助けには行かずカメラを回し続けたイマードは、撮り続けることが自分の使命と割り切っている。いまや撮るという行為は彼の人生において心の支えにすらなっている。
「壊された5つのカメラ~パレスチナ・ビリンの叫び~」は9月22日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてモーニング&レイトロードショー【紀平重成】
【関連リンク】
「壊された5つのカメラ~パレスチナ・ビリンの叫び~」の公式サイト
http://urayasu-doc.com/5cameras/