第424回 「老人ホームを飛びだして」に送られた拍手

「老人ホームを飛びだして」の一場面
今年の東京国際映画祭は複数の中国作品が出品を取りやめ、また「風水」のように映画祭の直前、一方的に“不参加宣言”を発表されるなど、尖閣諸島の領有権問題に端を発した日中対立の荒波に巻き込まれた。しかし、そんな中でもホッとする場面はあった。たとえば「こころの湯」で知られる張楊(チャン・ヤン)監督の「老人ホームを飛びだして」(原題「飛越老人院」)は、上映が終わった直後に客席から大きな拍手が起きている。
観客はもともと中国に親しみを感じていたり「胡同のひまわり」など張楊監督の作品が好きで見にきている人たちと思われるが、劇場の雰囲気は、作品に共感したというだけでなく、出品を取りやめなかった監督らにエールを送っているようにも見えた。その場の和やかな空気を感じながら、文化の交流は絶やしてはいけないと改めて思った。

おんぼろバスを仕立てて、一路天津のテレビ局へ
ところで「老人ホームを飛びだして」は張楊監督のファンを十分に満足させる内容だっただろうか。個人的な感想だが、そうとも言えるし、そうではなかったとも言える。
作品はテレビの人気仮装番組に応募した老人ホームのお年寄りたちが、家族の反対や、管理を強める施設側の思惑を乗り越え、天津のテレビ局を目指す一部ロードムービー風の人情派コメディだ。
私も「こころの湯」で初めて張楊監督の作品を見て以来の彼のファンだが、今回の作品は気になる箇所があった。
老人ホームの所在地は中国の東北地方らしいのに、天津へ向かう途中で内モンゴルとおぼしき大草原や遊牧民族が出てくるのはいかにも迂回のしすぎで不自然だし、いくらお年寄りグループといっても、彼らを遊牧民たちがそんなに簡単にパオの中に招き入れるだろうかという疑問である。景色が美しいだけに余計に違和感を感じたのだ。また主人公のグォさんと息子との感情のもつれも描き方がややオーバー気味だった。

病が悪化したチョウさん(呉天明=左から2人目)を仲間が支える
しかし、それを補って余りある監督の豊かなメッセージを多くの観客は感じたことだろう。
張楊監督は次のような仕掛けを施す。ホームの生活に慣れないグォさんに何かと気配りするチームリーダーのチョウさんがなぜ人気仮装番組にこだわるのか。実は彼には日本に行ったまま7年間も音信不通の娘がいる。そこで彼が思いついたのは、まず中国の予選で優勝すれば、日本での本選に回り、そうなると父親の涙ながらの訴えを娘がきっとテレビで見てくれるだろうという遠大な夢なのである。
日本での本選というのは実在の長寿人気番組「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」を指していると思われるが、映画の中に日本のテレビ番組の話を取り入れているところが新鮮である。
そうかと思うと、劇中でお年寄りたちがラジオ体操のように楽しげに歌い踊るのが西城秀樹の大ヒット曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.) 」。この曲が老人ホーム内で人気のカリキュラムになっている様子を見ると、両国の間で思いのほか、文化の越境とも言える交流が広がり、深化している様子に気付くのである。
それを意図的に映画の中に取り入れたかどうかは監督に直接聞いてみないと分からないが、今や両国文化の切っても切れない関係がさりげなく描かれているのである。

中国で上映された時のポスター(井上俊彦氏提供)
考えてみれば、日常何気なく使っている漢字をはじめ、故事成語や筆、あるいは漢方薬などは、いずれも中国から渡って来たものだ。日本文化の隅々に行き渡っている中国文化を抜きにしてわれわれは生活することができない。
同様に、中国も一早く西欧の文化を取り入れて近代国家を建設した日本から政治や法律、あるいは科学分野の数々の用語を取り入れている。今更生活に密着したそれらの言葉を消し去ることなど不可能だろう。
小さな島の所有を巡って起きた反日デモにより日本車に乗っていた中国人が襲われ頭蓋骨陥没で死亡した痛ましい事件はまだ生々しいが、中国から日本の痕跡を全て捨て去ることなど不可能なことは誰にでもわかる話である。2000年に渡る日中交流史はもはや後戻りなどできないのである。
相手の国を必要以上に美化したり憎悪の対象として描くことは双方の国力が接近してきたことを考えると、そろそろ卒業して、これからは有りのままの関係をそのままに、あるいは長い交流史を踏まえた描き方があってもいいのではないか。

同じくオールド女優が勢ぞろいしているポスター(同)
そういう点で、張楊監督の「老人ホームを飛びだして」は高齢社会のあり方を考えさせるだけでなく、両国の深い結びつきを作品の中に巧みに取り込んだ優れたエンターテインメントと言えるだろう。
中国映画を見慣れた人にとって、「古井戸」の呉天明(ウー・ティエンミン)監督や斯琴高娃(スーチンガオワー)ら往年の女優や監督が、高齢者の生き様を涙を誘わないではおかないよう感動的に、生き生きと演じているのはうれしい。このあたりは北京在住の知人、井上俊彦氏が人民中国インターネット版の連載コラムで詳しく紹介しているのでサイトでご確認を。
最後にもう一言。張楊監督の作品には必ずと言っていいほど父子の葛藤が出てくる。「こころの湯」「胡同のひまわり」そして今回の「老人ホームを飛びだして」。自身の体験だと以前、プログラムか何かで読んだ記憶があるが、まだ心の整理がつかないほどの思いだったのだろうか。次回作も注目したい。【紀平重成】
【関連リンク】
「東京国際映画祭」の公式サイト
http://manage.tiff-jp.net/ja/
「人民中国インターネット版」の井上俊彦氏のコラム「最新映画を北京で見る」
http://www.peoplechina.com.cn/home/second/2012-05/10/content_451729.htm