第435回 空を拓く 建築家・郭茂林という男

台湾から帰国し自宅に戻る郭茂林(2010年) (c)特定非営利活動法人ベーシックライフインフォーメーション協会 / 郭茂林ドキュメンタリー映画製作実行委員会 (以下同じ)
終戦までの約50年にわたって日本が台湾を統治した歴史を思い起こさせる映画が相次いで制作、公開される。原住民による武装蜂起事件を描いた「セデック・バレ」(GW公開)と、嘉義農林学校野球部の甲子園準優勝の実話を映画化した「KANO」(2月末クランクアップ予定)、そして2月2日に公開される台湾生まれの建築家、郭茂林を追ったこのドキュメンタリーである。

チームリーダーとして建設に関わった霞が関ビル
商業映画である最初の2本のうち、一つは原住民が民族の名誉を掛けて蜂起した霧社事件を題材とし、アクションは戦争映画並み。もう一つも連敗続きの野球部が新任監督の特訓で常勝チームに変身、夏の甲子園でも決勝まで勝ち進むというドラマチックな展開だ。

台北で自分の設計したビルを見上げる(左は同行の長男)
そんな劇映画的な派手さはないものの、日台双方の高層建築時代を切り開き、ビッグな都市開発を推進した男の実相に迫る本作は、たんなる建築史の枠を超えて興味深い。その彼の手がけた仕事で最大の成果は1968(昭和43)年に日本で初めて100mを超える霞が関ビルを誕生させたことだろう。
長い間、建築物の高さ制限が31mだった60年代前半に、同ビル建築チームのリーダーとして巨大プロジェクトを手掛け、高さ制限の法律改定や、強度に優れたH型重量鉄骨の開発、新工法の考案などを次々推し進め、日本初の超高層ビル誕生に大きく貢献した。

母校の小学校で児童に囲まれる
日本の風景を変えるような大事業の中心になぜ彼が抜擢されたのか。工学院大学教授で建築史家の藤森照信氏が映画の中で次のように解説する。
チームには東大の建築の各分野の教授が集まる。しかしみな一国一城の主でなかなかまとまらない。「こういう時は建築について全体の知識があり、また全体の人を知っていて、さらに自分の専門もあるという人でないと務まらないんです。それができたのは郭さんだけだった」

旧友と交歓する(中央)
郭自身も映画の中で「僕は人をまとめるのが得意なんだ。プロデューサー役だった」と振り返り、霞が関ビル建設の中核をなした「KMG」という組織について、「Kは霞が関、Mは施主の三井不動産から来ているけど、郭茂林グループという意味もあり、最後のグループが一番重要だった。確かに一人一人の力も大事だが、みんな力を合わせることでさらに大きな力を発揮できる。仲間がいないと人は何もできないよ」と説明する。
建築学の知識に加え、温厚で我慢強い人柄も日本初のプロジェクトのエンジン役には欠かせなかったに違いない。
その後、手がけたビルは浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60と、高さの記録更新を続け、日本を代表する超高層ビルを次々と築いていく。活躍の場はビルのみにとどまらず、新宿副都心開発にも広がっていく。

李登輝元総統と旧交を温める
映画は郭の生い立ちを追っていく。1921年台北生まれ。日本語教育を受け台北工業学校(現在の国立台北科技大学)で建築を学んだ。そこで恩師の千々岩助太郎に可愛がられ、日本行きを勧められる。
「台湾では台湾人は差別される。しかし日本に行けば、君の実力をきっと評価してくれる」
その言葉通り就職した東京帝国大学では岸田日出刀、吉武泰水教授に師事し、学問を究める中で人脈を広げていく。その知識と知己の広がりが財産となり、日本初の超高層ビル建設のまとめ役に生かされた。本人の力もさることながら、彼の実力を認め支えてくれる多くの人の存在もあって、歴史が動いたとも言えるだろう。
10年、郭は長男と一緒に故郷を訪ねた。小学校の級友と合い、母校の大学で若い学生と交歓する。リゾート開発をテーマにした課題授業では、見た目はオシャレな設計の模型を前に、郭が辛辣な批評を繰り返す。「台湾は地震が多いのに、それに耐えうる柱を入れなくてどうするの」。あるいは自分の設計した台北駅前の新光三越ビルや国泰生命保険ビルを訪ね、酒井充子監督に向かって「いいプロポーションでしょ?」と天真爛漫に同意を求める。そうかと思えば、他人の設計した奇抜な建物には「品がないね。建物は上品でないと」とやんわり批判する。
この旅では李登輝元総統と再会し旧交を温めた。元総統が台北市長時代、信義副都心計画を諮問し、郭が人と車の動線を分けた設計を提案し計画が実施されたという間柄だ。同都市開発は台湾育ちの郭が日本での経験を故郷にも技術移転し、結果的に日台双方に恩返しをした形だ。
この旅の後、郭は体調を崩し、昨年4月、91歳で亡くなった。戦後多くの台湾人が台湾に戻ったが、郭は日本に帰化しつつも「父からもらったものだから」と姓は変えなかった。
「空を拓く 建築家・郭茂林という男」は2月2日より渋谷ユーロスペースにてモーニングショー【紀平重成】
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「空を拓く 建築家・郭茂林という男」
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