第439回 こうしてガンコ親父は「先祖になる」
東日本大震災から間もなく2年。今なお多くの人が厳しい生活を強いられている中、岩手県陸前高田市のきこり、佐藤直志さん(79)は津波で流された跡地に家を新築した。木を切り、田植えをし、仮設住宅には見向きもしないガンコな生き様。そんな老人力が周囲を少しずつ動かしていく。
「先祖になる」という少し変わったドキュメンタリー映画のタイトルは、やるべきことをやって、後はお迎えの来る日を待つばかりという直志さんの見事な人生に敬意を表したものだろうか。監督は「蟻の兵隊」で中国残留日本兵の悲劇を描いた池谷薫さん。前作に続いて老人の一徹な思いと生命力が画面にみなぎっている。
直志さんは海を見下ろす高台の家を津波で流された。波に飲み込まれた長男の遺体がまだ見つかる前の震災3日後に休耕田を借りることを決めた。「自給自足で生きている証(あかし)を見せなければ、生きる甲斐がないもの」と。ついでに、がれきだらけの家の周囲にもソバの種もまいた。
立ち退きを要請する市の職員とはけんか腰の話し合いだ。息子と先祖の霊を守るため動くわけにはいかないという老人に、市は「同じ場所での復興を考えるのはまだ早い」と譲らない。しかし、がんで放射線治療を受けている直志さんに、市の復興計画を待つ時間のゆとりはない。
直志さんが住む気仙町では住民の避難のため町内会の解散が相次ぐ。しかし町を再生させるためには元の場所に家を建てないとダメだと考える直志さんはテコでも動かない。住民集会でそう宣言し、波をかぶって枯れた杉をチェーンソーで切り倒し、新築用の板を確保していく。
避難した住民も一様ではない。開催が危ぶまれた震災後最初の気仙町けんか七夕まつりには久しぶりに元の住民も集まった。青年部のリーダーが絶叫する。「青年部は解散したくないんだよ。この町で暮らしたいんだ。分かるか。解散なんて言うんじゃないよ」。その声に顔をくしゃくしゃにして泣く青年たち。
仮設に移住した家族らと別れ、直志さんは1人納屋に寝泊まりする。氷点下10度にまで下がり、天井から雪が吹き込むきびしい冬を耐える。そこまでして頑張るのは夢があるからだ。住宅の設計図を広げながら「ご来光が射し込むのを部屋から眺めることのできる間取りにしたいんだ」。
そうかと思うと、こんな夢も。監督の問いに答える。「もう一度見たい映画? そうだね。『ローマの休日』は見たいね」。部屋から眺めるご来光とオードリー・ヘップバーン主演の映画とではずいぶん開きがあるが、夢なのだからこれでいいのだろう。
直志さんはきこりだけに、木を相手にしたときの表情はさらに生き生きとしている。木を切り倒す。足を上手に絡ませて木にスルスルと登っていく。80歳近い年齢で、まだまだ現役だ。
「(被災地の人は)働かなきゃダメ。もらい癖が付いている。このまま2、3年するとダメになる」
記念の集会ではこうあいさつする。「生ある限り、みなさんのお世話をしたいと思います」
お世話を受けたいではなく、逆にお世話したい、と。直志さんは単なるガンコ者ではない。夢を持ち、自立した心を持つ老人である。そんな直志さんの姿勢は、復興とは、生き方とはといった問題を我々に考えさせる。
その人間的な魅力にとりつかれ、池谷監督は震災1カ月後に初めて直志さんに会うと、彼の映画を撮ると即刻決断した。以来1年半。東京~気仙を50回往復し車の走行距離は5万キロに達した。
周囲の人だけでなく、監督まで動かした直志さんは、その日を待つ。口癖の「山に行く」、つまりあの世へ旅立つ日を待っているのだ。真新しい家の中でご来光を眺めながら、静かにお茶を飲む。
「先祖になる」は2月16日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開【紀平重成】
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「先祖になる」の公式ページ
http://senzoninaru.com/