第440回 ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」の一場面 (c)2012 Twentieth Century Fox(以下同じ)
アカデミー賞の受賞歴がありハリウッドで最も成功したアジア人の一人と言われるアン・リー(李安)監督がまたもや栄冠を勝ち取った。監督賞など3冠に輝いた「ブローク・バック・マウンテン」(05年)では心理描写の複雑なドラマを説得力ある演出で見せ監督個人としての職人的技量の高さを示したが、今作では異文化理解とでも言うようなムーブメントの可能性を示唆し、さらに存在感をスケールアップさせている。

救命ボートにつないだ手造りのいかだで苦難の旅が始まる
夜の海の豊饒さや死と隣り合わせの美しい無人島など、3Dによる誰も見たことのない映像が話題になっているが、監督の真骨頂は人間の内面を描き、画面に出てくる事物に意味を持たせるという寓話の手法だろう。

少しずつトラとの距離を縮めるが……
今回、その役割を担ったのはトラである。
1960年代初めのインド。数学に強く、父親の経営する動物園で生き物と触れ合った16歳のパイは、家族4人そろってカナダへ移住する途中、動物たちも乗り込んだ貨物船が嵐に巻き込まれて転覆、1人救命ボートに避難したものの、同乗者は獰猛なトラだった。
パイは数学や動物との触れ合いなどそれまでの人生で学んだすべての知識を総動員し、何度もくじけそうになりながら生き延びていく。トラが荒波にもまれ苦しんでいる時には「神よ、なぜトラを苦しめるのか」と問い、命を狙う敵であっても存在そのものが自身の生きる意欲につながっている共存関係にあることを示す。
最初はトラを恐れてロープでつながれた手作りのいかだに避難していたパイは、覚悟を決めてトラと向き合い、さらに船蔵に追い込んで、いつしかエサを分け合う仲間にまでなる。トラはパイが成長していく姿を映し出す鏡のような存在として描かれるのだ。

喜びの後の絶望
人間を重層的、かつ多面的に見つめるというアン・リー監督は、正義と邪悪がストレートに描かれることの多かったハリウッドにあっては異端の存在だ。
それを象徴するように、出身の台湾や香港、大陸といった中国語圏では大ヒットを記録したのに、アメリカではそれほどでもなかった。アメリカ人は複雑な要素が込められた作品は苦手なのか。
そこで注目したのはアカデミー賞。同賞では11部門にノミネートされていたが、この雰囲気ではおそらく主要部門は取れず、せいぜい一つか二つ取ればいい方と筆者は予想したのだ。そしてふたを開けてみれば、監督賞、撮影賞、作曲賞、視覚効果賞の最多4部門を獲得した。
確かにサバイバル物語としても見ごたえはあるが、大自然の神秘におののき、神と交信するかのような深みのあるドラマをアメリカは正当に評価したということか。しかも、「人生とはあらゆるものを失っていく旅だ。家族も恋人も動物たちも……。しかし別れはいつも突然で、サヨナラを告げることはできない」と主人公に自問させる複雑なドラマを。
お決まりの展開でも、分かりやすい作品を好んだアメリカ人が、東洋からやって来た「考えさせる映画」を心がける監督の作品を受け入れ始めようとしているのかもしれない。

幻想的な夜の海で
変化はアメリカだけではない。今作品はほとんどを台中市をはじめ台湾で撮影されたという。売りの一つである3DやSFX(特殊効果)は台湾側のスタッフも協力して撮影されたので、この方面の世界最先端の技術が台湾にもたらされたことになる。
「セデック・バレ」のウェイ・ダーション(魏徳聖)監督が制作に回った今秋台湾で公開予定の話題作「KANO」(マー・ジーシャン=馬志翔監督)にも、今回のスタッフの一部がSFX担当者として参加しており、アン・リー監督のまいた種は着実にアジアで育とうとしている。
こうやって見ると、アン・リー監督は東西の文化を交流させる橋渡し役を担っていると言えそうだ。アメリカには宗教を始め文化の多様さを、そしてアジアにはSFXをはじめハイテク技術をという風に。
今作は海底から宇宙まで、世界の深遠さを感じさせるかと思うと、ファンタジーまで楽しめるエンターテインメント作品だが、随所にコメディーの要素も散りばめられていることを忘れてはいけない。たとえばパイがトラを威嚇しようとおしっこをかけたつもりが後でしっぺ返しをくらったりという風に。
そこで思い出したのはアン・リー監督を師と仰ぐ関口祐加監督の話。現在、同監督の「毎日がアルツハイマー」は全国順次公開中だが、92年に関口監督の2作目がオーストラリアの映画祭でノミネートされた時に審査員を務めたのがアン・リー監督。「あなたはコメディーに向いている。コメディーを撮ってください」と講評してくれたことが今の自分につながったという。
コメディーは、意外にも常にチャレンジを忘れないアン・リー監督の原点の一つかもしれない。
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」は1月25日よりTOHOシネマズ 日劇 ほか 全国公開【紀平重成】
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「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」の公式ページ
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/