第444回 「卵と石」

「卵と石」の一場面 (C)YELLOW-GREEN PI(以下同じ)
このタイトル見ると、2009年に村上春樹がエルサレム賞授賞式で「高く堅い壁と、それに当たって砕ける卵の間で、私は常に卵の側に立つ」と語ったスピーチを思い出す。卵は壊れやすく壁は堅牢だから、自分は弱者の側に立つと明言し、武力行使もいとわないイスラエル政府を暗に非難したとされている。このスピーチには賛否を含め様々な評価がなされているが、卵はもろいけれども温かみがあり、壁は固く冷たいという見方ではほぼ一致している。
大阪アジアン映画祭のインディ・フォーラム部門に出品された「卵と石」のホアン・ジー監督も「壁」を「石」と置き換えれば、両者の見方は全く一緒だ。ただし二つを対立するものとしては描かず、一人の人間の中に併存するものとしてとらえる。監督は「時に人間の心は卵のように温かく、石のように硬くなる」というように、変化しやすい少女の心の揺らぎを卵と石で表現したという。
初の長編劇映画となった今作で監督は、自身の体験をもとに、封建的な風習が色濃く残る田舎を舞台にうっ屈した生活を送る少女をヒリヒリとした皮膚感覚で描いた。
大都市からは程遠い中国の湖南省にある山間の村で、14歳の少女ホングイはある悩みを抱えていた。都会で働く親と離れ、叔父夫婦に預けられて7年たつ。

叔父と記念写真を撮るホングイ(右)に「本当の親子のみたいだ」という声がかかる
こう書くと、昨年のフィルメックスで上映され、5月に日本公開されるワン・ビン監督の「三姉妹~雲南の子」を思い出さないわけにはいかない。雲南地方の山の中の貧しい村に暮らす幼い三人の姉妹の生活に密着した同作品は、厳しい現実と、それでも強く生きる姿を感動的に描いていたが、今作では思春期に入った少女の傷つきやすい繊細な心情の変化を冷静にとらえている。

ホングイは気づいてみれば卵か石を手でもて遊んでいる
監督のスタイルなのだろう。説明的なシーンは意識的に排除されており、その場面をどう解釈していいか戸惑うこともしばしばだ。監督は「この(抑圧される女性という)テーマを安易なストーリーで分からせるのではなく、しっかり人物の痛みを感じてほしいという想いを込めました」と説明する。
叔母は麻雀に明け暮れてホングイに注意を払わない。叔父は寝床を指して「一緒に寝よう」と声をかける。それが嫌でホングイは眠いのに寝ることもできない。相談したくても話す相手もなく、ひたすら孤独に耐えているのだ。

ロッテルダム国際映画祭でタイガーアワード受賞に喜ぶホアン・ジー監督
重苦しいシーンが続くが後半、少女が祖母と暮らし始めると、画面も緑濃い美しい山野に入れ替わり、吹く風もさわやかに感じられる。ホングイの再生の旅立ちであり、この作品を撮った監督自身の過去のトラウマからの脱却を告げるカットでもあるだろう。
監督の思いを祝福するように、同作品はロッテルダム国際映画祭タイガーアワードを受賞している。

監督の夫であり、プロデューサーなども兼ねた大塚竜治撮影監督
ロケの行われた芙蓉村は監督が8歳の時、1年暮らした村。近くの中学を回り500人の生徒の中から見つけたのがヒロインのヤオ・ホングイ。彼女自身も2歳の時から両親と離れて暮らしており、その孤独感が伝わって来たという。
日本の高度経済成長は大量の出稼ぎ労働者を生んだが、中国の場合は両親不在の子供や一家の都会総移住で村の崩壊という極端なケースが多い。日本の10倍の人口を抱える中国は経済成長も速いが、公害や人権侵害という負の遺産の集積も驚異的なスピードで進行しているように見える。
「卵と石」。変化しやすい心情の揺らぎは少女に限らないのかもしれない。【紀平重成】
【関連リンク】
「大阪アジアン映画祭」の公式サイト
http://www.oaff.jp/2013/index.html