第455回 「台湾アイデンティティー」

高菊花さんは元歌手。日本名、台湾名、ツオウ族名の三つの名前を持っている(C)2013 マクザム/太秦(以下同じ)
台湾を訪れた日本人は昨年、144万人と過去最高を記録した。一方、東日本大震災では台湾から200億円を超える義援金が寄せられた。日本と台湾は互いに親しみを感じていると言われる。しかし1945年までの半世紀に及ぶ日本統治時代に日本語の教育を受けた世代の6人が語る重く厳しい体験は、戦後の日本人が台湾を省みようとはして来なかった事実を突きつける。
映画に登場する6人のお年寄りは、「日本は自分たちを棄てた」という恨みも時にのぞかせるが、今なお正確な日本語を話すだけでなく、日本に親近感を持ち、日本人意識すら見せつけることもある。しかし彼らの歩んだ道は一様ではない。

黄茂己さんは元教員。神奈川の高座海軍工廠で働いていたこともある
高菊花さん(日本名:矢多喜久子)は32年に阿里山のふもとで生まれた。ツオウ族のリーダーだった父、高一生は警察官や教員を務め、戦後は原住民の自治に取り組んだが、国民党にマークされ逮捕、銃殺。経歴の一部は「セデック・バレ」で原住民と日本人の狭間で悩んだエリート原住民の姿と重なる。父の死後、長女の菊花さんは母と9人の兄弟姉妹の生活を支えるためプロの歌手になった。米軍キャンプでも歌い、父親の処刑のいきさつを酔った役人から聞き出すこともあった。国民党の彼女への尋問は71年、意に添わない自首証を提出するまで17年間続いた。

呉正男さんは旧ソ連の捕虜になったため「二二八事件」に巻き込まれなかった
黄茂己さん(日本名:春田茂正)は23年台湾南西部生まれ。旧制中学を卒業して8400人の台湾少年工と一緒に神奈川県の高座海軍工廠で働いた。日本人と結婚し、台湾に戻ると小学校教員として定年まで働いた。戒厳令を敷いた国民党の圧政には批判的で、「蒋介石の政治が民主主義と言ったら、おへそでお茶を沸かしますよ」ときれいな日本語で笑い飛ばした。現役時代は怖い先生で通っていたが、今は教え子に声をかけられ、それが幸せという。日課は散歩と、先立った妻をしのび短歌を作ること。「来世縁があったらまた一緒になりましょう」。そう優しく声をかける。
鄭茂李さん(日本名:手島義矩)は高菊花さんの親戚で27年に同じ阿里山の村で生まれた。18歳で海軍を志願。戦後は、ホウ・シャオシェン監督の「悲情城市」でも描かれた、台湾住民の国民党への抗議行動に端を発した台湾人弾圧の「ニニ八事件」(47年)に鄭さんも参加した。幸い逮捕は免れ、その後は茶の栽培に成功し、何度も日本に旅行している。「日本が戦争に負けたから我々は日本人になれなかった。勝っていれば……」と涙ぐみながら辛い運命を受け入れようとしている。

宮原永治さんはインドネシアに残留し独立戦争に参加した
横浜に住む呉正男さん(日本名:大山正男)は27年、台湾南西部生まれ。東京の中学に進学し、陸軍特別幹部候補生を志願、航空通信士として北朝鮮で敗戦を迎えた。中央アジアの捕虜収容所で運河の掘削などの強制労働に2年従事したため、日本に戻るのが遅れ、結果的に「ニニ八事件」後の台湾には戻ることができなくなった。好きな日本人女性と結婚し、横浜華銀に就職。酒井充子監督に帰化申請のことを尋ねられ、「(自分は)まだ台湾人と思っている。でも生活のことを考えると日本人らしい。日本人らしい台湾人だな」とクールに自己分析してみせた。
インドネシアのジャカルタに住む宮原永治さん(台湾名:李柏青)は22年生まれ。18歳で軍に志願し各地を転々。戦後はインドネシアに残り、1000人の残留日本兵やインドネシアの青年たちとオランダからの独立戦争に参加した。その後インドネシア国籍を取り日本企業のジャカルタ支社に就職した。インドネシアと台湾、そして日本。酒井監督の「何人として死んで行くのですか」との問いにこう答える。「やはり日本人ですよ。李登輝元総統は台湾人に生まれた悲哀という言葉を語っています。生まれた場所が悪かったということです。あなた方に想像はつかないと思います」

張幹男さんは政治犯を自分の会社に引き取っている
最後は30年、台湾人の父と日本人の母との間に生まれた張幹男さん(日本名:高木幹男)。新竹工業学校在学中に戦争が終わり、58年、台湾独立派の日本語冊子を翻訳しようとしたとして反乱罪で逮捕された。緑島の政治犯収容所には8年。出所後、日本語ガイドの仕事を見つけ、独立して緑島帰りの政治犯を受け入れるようになった。当局からは毎週のように呼び出しがあり「やめさせろ」と圧力をかけられたが、逆に「やめさせれば、この人たちは暴動を起こす。だから僕に任せたらいい」と押し返した。会社は150人の規模に膨れ上がった。「自分の国を作っていくことが希望。祖国は台湾です」と言い切る。
日本と台湾の間で今もアイデンティティーが揺らいでいるかに見える日本語世代のお年寄りたち。どちらにせよ、波乱多き人生の晩年を迎えた彼らに「お疲れさまでした」とねぎらいの言葉の一つもかけてあげたい。そして「また映画の中でお会いしましょう」と。
「台湾アイデンティティー」は7月6日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「台湾アイデンティティー」の公式サイト
http://www.u-picc.com/taiwanidentity/