第467回 矢野浩二さんの「最高の人生の見つけ方」
いま、こんな本を読んでいる。「77歳のバケットリスト~人生いかによく生きよく死ぬか~」(はる書房)。著者は元大手電機メーカー米国法人社長の渡邊一雄さんで、書名に使われているバケットは棺桶を意味する。つまり死ぬまでにやっておきたいことを書き出したリストということになる。
バケットリストをテーマにした作品には ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演したロブ・ライナー監督の「最高の人生の見つけ方」や、クリス・マルティネス監督が、がんを患った女性の死ぬまでにする100のことを描いたフィリピン映画「100」(2009年の大阪アジアン映画祭で上映)がある。
渡邊さんも2年ほど前、大病を患い、幸い一命を取り留めたが、バケットリストを作っておくことの意義を痛感し、本書を一気に書き上げた。フィランソロピー(社会貢献)や社会人落語家、元特別養護老人ホーム施設長など幅広い活動を手がけていて、この秋には筆者の勤めている財団や新聞社が主催する認知症予防シンポジウム(11月28日、福島県郡山市)で「手応えのある生き方」のタイトルで特別講演を予定している。
充実した人生を送りたいと考えるのは誰しものことで、余命を告げられた人や健康不安に陥った人に限らない。たまたまテレビドラマ出演の話が舞い込み、単身中国にわたって演じた日本軍人役が評判となり、最近はテレビの司会業までこなす、中国で最も知られている日本人と評判の矢野浩二さんの場合も思いは同じである。
矢野さんが8月下旬、久しぶりに帰国した際、歌舞伎座近くの中国料理店でお話をうかがう機会があったので、初対面ながらご一緒させていただいた。
70年生まれの43歳。しかし写真で見るより目の前にいる本人の方が若く見えるのは、何のツテもない大陸に飛び込んでいけるだけの勇気や好奇心といった前向きのオーラが体から発散されているからであろうか。さらに大阪弁のアクの強さ。話もおもしろく、あっという間の3時間だった。
中国に渡ったのは、役者志望で上京した20歳代に芽が出ず、仕事ができるならと、渡りに船の思いだったからである。持ち前の押しの強さで売り込み、手に入れたのが、ステレオタイプの冷酷な日本軍人(鬼子)役。選択の余地はなく、監督の求めに応じて演じると、出演依頼が殺到するはまり役となった。
しかし数年で行き詰った。決まりきった役どころでは演じ甲斐がないからである。幸いにも鬼子役を降りてから、今度はトーク番組にゲスト出演の話が持ち込まれた。意に沿わなかった鬼子役が逆に顔を覚えてもらうきっかけになったのだ。とりわけ視聴率で1、2を争う湖南テレビのバラエティー番組「天天向上」の司会者の1人に選ばれたことは、自分の顔を全中国に広めていく上で大きな力になったという。
ずっと順調だったわけではない。尖閣諸島をめぐる事件が起きるたびに、日中双方で相手を非難する声が沸き起こった。中国では反日デモが暴徒化し、日系スーパー、企業での略奪や焼き討ちまで起こった。しかし、そのたびに「大丈夫か」と気遣う友人たちがいた。中国人女性と結婚して生まれた娘の写真を添えて、中国の短文投稿サイトに「ここで孤独ではなくなった。それが私の幸せ」と書くと大きな反応があった。
「大事なのは民間交流です。国同士だとどうしても引くに引けなくなり、時に個人が巻き込まれてしまう。個人と個人が関係を深めていけるようお手伝いをしていきたい」
今回の帰国で、さらにその思いを新たにしたに違いない。
2020年の東京オリンピック開催が決まったとき、矢野さんは早速ブログで次のように書いている。
「自分は中国のミニブログで『2001年、北京招致が決定した瞬間を見た。非常に嬉しかった。今回も非常に嬉しい。おめでとう東京』と書いた。自分の祖国の嬉しいこと、喜ぶのは当たり前やな。ここ中国でもそれを伝えるよ。でもある人は『浩二は大変やな~~。自分の嬉しい感情を出す前に、先ず北京を気遣う言葉を言う。人格分裂にならないかぁ~』。(中略)気遣うというのは当たり前のことやねん。相手にこっちの思いを理解してもらおうと思ったら、まずは先に相手を気遣う、当たり前の礼儀。それが思想観念の違う外国人に対してならなおさらや。だから、俺から言えば“相手に理解されたかったら、先ず相手に気遣った言葉を添えろ”ってことやねん」
日本人はもちろん、中国人からも愛される男へ。矢野さんの「最高の人生の見つけ方」のチャレンジは続く。【紀平重成】
【関連リンク】
矢野浩二さんの公式サイト
http://yano-koji.jp/
矢野浩二さんの公式facebook
https://www.facebook.com/koji.yano.908