第472回 レッドマリア それでも女は生きていく

「レッドマリア それでも女は生きていく」の一場面。戦時中の辛い思いをようやく語りだすフィリピンの高齢女性
女の体には人生が刻まれている。そう考えた韓国のキョンスン監督が韓国、日本、フィリピンを訪ね歩き、女の生きざまを聞く。同時に上着をたくし上げてもらい、お腹の写真も撮っていく。セックス、生理、妊娠、出産。女の身体に残るしわや傷は、彼女たちの生きてきた過程を雄弁に物語っている。

「私は人間です」と派遣労働者の権利を訴える日本の女性
登場人物の経歴は実に様々だ。韓国で派遣労働者200人を解雇した電子機器メーカーで非正規職労働者の権利を取り戻すため座り込みを続ける女性たち。「夫の家には何て言うの?」「まだ話してない」。家父長制という伝統的価値観が残る中で家族とジェンダーの問題が浮かび上がる。闘争は6年にも及ぶ。
日本の大手家電メーカーの子会社。18年働いた女性は派遣職が無くなったとの理由で解雇される。「派遣職でも役員でも正規職でも、人生の重さも責任も同じです。皆さんの人生と私の人生、雇用を失った多くの派遣労働者と非正規職労働者の人生、何も違いません。私は人間です」。本社前でマイクに向かってこう訴える。

企業で働かない生き方もある
二つの話はグローバリズムと高度資本主義の中で真っ先に仕事を失った女性たちが抗議に立ち上がる姿をとらえる。いわば現代の格差問題を描いているのに対し、フィリピンのマラヤロラでは高齢女性たちから過去の負の歴史を聞き出していく。旧日本軍による性暴力被害者の高齢女性は語り始めるのに50年という年月を必要とした。「慰安所ではなく、1日のうちに何度も集団レイプされました。思い出すのも辛い。恥ずかしくて家族にも言えませんでした」
カメラはさらに結婚のためフィリピンから韓国に移住し10年ぶりに実家を訪ねた女性をはじめ、16歳で父のいない娘を産んだフィリピンのセックス・ワーカー、企業で働かずに生きていくことを選んだ日本のホームレスの女性、介護労働に従事する在日の女性、そして撤去寸前のフィリピンの貧民街の女性たちを訪ねていく。
仕事は多様だが共通するのは、格差が広がる生きづらいこの世界で、それでも文字通り体を張って生きていく女性たちの健気な姿だ。しかも、個々にはバラバラな女性たちの話を通してみると、女性賛歌というの通奏低音の中、彩り豊かなアンサンブルを聞いているかのような気持ちにさせられる。

けなげに生きる女性たち
女性のキョンスン監督は、マイノリティの視点を大事にした「パトリオットゲーム」「ショッキング・ファミリー」などの作品で知られる。その監督を、ドキュメンタリーとしては異例の300万人の観客動員を記録した「牛の鈴音」のプロデューサー、コ・ヨンジェが制作をサポートしている。
映画の中で登場人物の一人がこう語る。「私たちのやっていることを“それはフェミだよ”と言われたことがある。それで本を読んでみたら、30年前とちっとも世の中が変わっていないことにショックを受けて涙が出た」
格差問題は変わらないという意味では、過去と現代はつながる。そして個々の女性たちがつながって自分を理解していけば、少しは生きづらさも和らぐのかもしれない。
監督は女性のお腹を撮るだけでなく、女たちが生きていくために多様で見事な食事を次々に作っていく姿にもカメラを向けているのがいい。その豊饒なこと。権利を求めて闘う女たちの姿がまぶしい。
「レッドマリア」は11月2日よりシアター・イメージフォーラムにてモーニング&レイトショー【紀平重成】
【関連リンク】
「レッドマリア 」の公式サイト
http://www.redmaria.jp/