第481回 「7番房の奇跡」
「セーラームーン」の絵が描かれた黄色いランドセルがこの物語を読み進める最初の小道具となる。そして後半には事件のカギを握る証拠品にも。ランドセルには誰でも思い出が詰まっているが、映画の主人公の父と娘の場合は……。
娘の入学式を心待ちにしていた知的年齢6歳の父親ヨング(リュ・スンリョン)と、6歳とは思えないほどしっかりしている娘イェスン(カル・ソウォン)は次の日にお目当てのランドセルを買いに行く約束をする。ところが翌日、目の前で別の客にランドセルを買われてしまうばかりか、必死な思いをうまく説明できないため、ヨングはその客からたたかれてしまうのだ。後日、そのランドセルを背負った少女が遺体で発見され、現場にいたヨングは殺人容疑で逮捕、収監される。仲の良い父と娘は離れ離れとなり、それぞれ相手恋しさに胸を焦がせる。
最初はヨングの罪名に驚き、手荒な“歓迎”をする7番房の同居人たちだったが、刑務所内のいざこざで命を狙われた房長をヨングが助けたことから、彼とイェスン父娘を会わせるための奇想天外な計画が浮上する。
韓国で歴代観客動員記録3位の1289万人を達成して多くの観客の涙を誘ったのは、娘を演じるカル・ソウォンの可愛いらしさ、いじらしさだった。しかもセリフは本人の肉声かと思うほど少女自身になり切っている。泣く時は本当に泣き、笑う時は無邪気に笑う。並の子役ではここまではできなかっただろう。
もう一つヒットの要因に部外者立ち入り禁止の刑務所を舞台にしたことを挙げない訳にはいかない。恋愛もそうだが、障害が大きくなればなるほど思いは強くなり会いたさも増す。ましてや一人で暮らすことも危うい娘を残しながら自分は駆けつけることができないという設定は、それを乗り越えようという劇的なドラマを引き出す。タイトルにあるように「奇跡」を登場させるお膳立てが整ったということである。
ただいくらなんでもありえない展開の連続では観客はついていけない。そこに「メルヘン」という衣をかぶせた仕掛けが必要になる。さすがに死刑囚を刑務所の外には出せない代わりに、娘のイェスンを中に入れるあの手この手が繰り広げられていく。
それでもイ・ファンギョン監督は100%の童話にはしたくなかったのかもしれない。あるいはバランスを考えたのだろうか。巧みにリアルなお話も盛り込んでいる。それはランドセルを先に買った別の客を警察庁長官にしていることである。長官は自分の娘を殺されたと思い込んで激怒し、一方、警察は彼の意向を汲んで無理な捜査を展開し、うその自白を引き出して証拠とする。なんだかどこかの国でも繰り返されているお話と似ているではないか。物語はメルヘンなのに、そこだけはリアリティが際立つ。
実際、韓国では歴代の大統領やその家族が不正な行動を繰り返し逮捕されてきたという歴史がある。台湾や中国、そして日本でも同様な事件が相次いでいることは記憶に新しい。
映画では、警察庁長官ただ一人が一切謝罪もせず、あるいは良心の呵責に苛まれないという描かれ方が、受刑者ではあるものの可愛いものへのいたわりや仲間への親愛の情など人間らしい一面を示すほかの仲間たちと違うのである。権力者への強い不信感があるのだろうか。彼の非情さを際立たせるためにあえてそうしたのか。
「王の男」のチョン・ジニョンや「オールド・ボーイ」のオ・ダルス、「息もできない」のチョン・マンシクらおなじみの俳優が大挙出演しているのも大ヒットを助けた要因だろう。
偶然かもしれないが、知的な障害があって純真すぎる父親と賢く健気で可愛い娘の組み合わせというインド映画「神さまがくれた娘」も2月に公開される。過去にも「I am Sam アイ・アム・サム」のような昨品もあるが、このような作品を求める、あるいは作ろうとする時代的な背景がありそうだ。権力者が弱者や意見の異なる人たちの声に耳を傾けず、自分の主張ばかりを押し通す昨今の風潮。そんなギスギスした空気に馴染めず、息抜きのできる作品が支持されるのかもしれない。
「7番房の奇跡」は1月25日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国公開【紀平重成】
【関連リンク】
「7番房の奇跡」の公式サイト
http://7banbou.com/
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「私のアジア映画ベストワン」を今年も募集します。その作品を選んだ理由も一緒にお寄せください。ペンネームも可。匿名希望はその旨をお書きください。2013年の公開なら海外で見た作品も対象です。また映画祭や特集イベントの作品も歓迎します。応募の締め切りは14年1月5日。あて先は昨年と変わり、「13年私のアジア映画ベストワン」係(nari.nari@jcom.home.ne.jp)まで。
はじめまして
公開初日に観ました。イェスンが刑務所に出はいりする部分やラストの気球の部分はファンタジーで荒唐無稽でしたが、リュ・スンリョンとカル・ソウォンのピュアな演技でそんなことはどうでもよくなってしまうくらい熱量がありました。
警察庁長官については刑務所の課長を含めて子供を失った父親のそれぞれの姿を描いていたように思えます。
stanakaさん、こんにちは
コメントを寄せていただきありがとうございます。
私は途中までファンタジーとして見れば存分に楽しめるといい聞かせながら見ていましたが、おっしゃる通りカル・ソウォンの入魂の演技(演技というよりその役になりきっていました)に目を奪われて、思っていた以上に楽しめました。名優の多い韓国の少年、少女たちですが、彼女はナンバーワンかもしれません。
警察庁長官と刑務所の課長の対応が対照的なのもリアリティがあるように思いました。
今年も韓国とインド映画の公開が多くなりそうで楽しみです。