第487回 「神さまがくれた娘」

南インドの美しい避暑地ウッティーが舞台の「神さまがくれた娘」の一場面 (C) AP International All Rights Reserved.(以下同じ)
インド映画が同じ月に3本も日本公開される時代が来るとは……。どうやら潮目は大きく変わりつつあるらしい。
さて、この2月に公開される3本のインド映画とは本コラムの第485回で紹介した「デリーに行こう!」と毎日新聞愛読者サイトのコラム「キネマ随想」に書いた「エージェント・ヴィノッド 最強のスパイ」、そして、これからご紹介する本作である。
他の2作品は、何が起きても「大丈夫」と気にしない妙な男とドタバタ道中を続けるうちに効率がすべてという価値観を変えて行くキャリアウーマンの再生物語と、世界を股に掛けるスパイアクション。それに対し本作は6歳程度の知能しかない父親と5歳の娘による親子の愛情物語だが、後半はテンポのいい法廷劇が繰り広げられ、3作品のジャンルがまったく重ならないところがまたいい。かつては「歌と踊りのインド映画」とよく言われてきたが、それだけではない作品の多彩さや底力を感じ取ることができる絶好の機会だろう。

父親のクリシュナ(ヴィクラム)は娘のニラー(ベイビー・サーラー)と愛情深く暮らしていたが
ところで、簡単に触れた本作の特徴を読み、「あれっ、韓国映画『7番房の奇跡』と似てないか」と思われる読者がいるかもしれない。娘に深い愛情を注ぎつつも理解力は6歳程度の父親と、可愛く健気で賢い娘という主役の組み合わせがまったく同じなのだ。しかも法廷劇がドラマの行方を左右する重要な部分になっており、その知略をめぐらすスリリングな展開と親子の情や周囲の人たちによる優しさといった心温まる部分が絶妙なバランスをとっているところもよく似ている。

毎晩指人形で遊ぶ二人
しかし見た後のイメージは大きく異なる。「7番房の奇跡」がコメディとメルヘンの色合いが濃いのに対し、「神さまがくれた娘」は法廷の内外の駆け引きが熾烈を極め目が離せない。前半の親子の情愛物語と後半の法廷劇が合わさって映画2本分を堪能したほどの満足感を得られるることだろう。
チョコレート工場で働くクリシュナ(ヴィクラム)は、6歳児程度の知能しか持っていないが、彼の正直さが周囲の仲間から愛されていた。子どもを授かった彼の妻は娘を残したまま先立ってしまう。クリシュナは娘(ベイビー・サーラー)にお月様を意味するニラーという名前を付け、みんなの助けを借りながら何とか彼女を育てる。

どこに行くにも二人は一緒
やがてニラーは5歳の女の子に。賢く可愛い彼女の存在は、町の有力者で実はクリシュナの亡き妻の父でもある男の知るところとなり、「子どものような親に子育てはできない」と、ニラーを連れ去る。愛するニラーを取り戻すための困難だが胸のすく一発大逆転の法廷劇が始まる。そして、感動のラストとは……。
映画の成否を決めるのは良い脚本とキャスティング、それに資金とよく言われるが、今作の場合はとりわけ父親役のヴィクラムと娘を演じたベイビー・サーラーが出色の演技を披露した。しかもそれが演技というよりはその役になり切っていると言った方がふさわしいだろう。

駆け引きは法廷の外にまで及び熾烈を極める
もともとヴィクラムは「インドのロバート・デニーロ」呼ばれるほど演技力に定評があり、今作でも役に集中するため人との接触を努めて避けたという。
一方のベイビー・サーラーは実生活でも賢さを発揮。慣れないタミル語の台本を丸暗記し、初めて父親役のヴィクラムに会った際には抱きついて「こんにちはパパ」と言って彼を感動させたという。人を親密にさせてしまう個性を幼いながらに身につけているのかもしれない。
この二人が後半ある場面で取り交わすコミュニケーションは涙なくしては……、いや人を感動させずにはおかないだろう。“本物の”という言葉は使いたくないが、混じりッ気のない愛の物語である。
「神さまがくれた娘」は2月15日よりユーロスペース、シネマート六本木ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「神さまがくれた娘」の公式サイト
http://www.u-picc.com/kamisama/