第501回 「めぐり逢わせのお弁当」
いまから約125年前のインドで、ある銀行員がこう考えた。「わが家のおいしい料理を昼も職場で食べたいものだ」と。その当時としては途方もない、しかしいまならごく自然なこの思いをかなえようという商売っ気のあるビジネスマンが後に現れ、あれよあれよという間に、配達人が自転車と列車でリレーしてムンバイ市の郊外から市内の職場に時間通り送り届けるという一大流通システムを作り上げてしまった。それに関わる配達人は5000人で、1日の利用者20万人。なのに配達ミスは実に600万回に一度という。この作品はウソのような本当の話にヒントを得たラブストーリーだ。
インドの大都市ムンバイのオフィス街では、正午から午後1時にかけて、ダッバーワーラーと呼ばれる弁当配達人が、平均40個近くの弁当箱を慌ただしく配って歩く。その中には、主婦のイラ(ニムラト・カウル)が夫の愛情を取り戻すために腕によりをかけた4段重ねの豪華弁当も含まれているが、なぜか男やもめのサージャン(イルファーン・カーン)の手に誤って届けられてしまう。ここでサージャンが誤配に気付き弁当を食べなければ物語は終わってしまう。だが、サージャンは誤りに薄々気付きつつも、おいしさのあまり完璧に食べ尽くす。イラは空っぽになって戻ってきた弁当箱を見て当然喜ぶが、帰ってきた夫の反応は芳しくない。もしかしたらと思ったイラは次の日、弁当箱に手紙を忍ばせ……二人の物語が始まる。
作品の魅力はもちろん4段重ねの豪華弁当の中身にある。夫の不倫に悩むイラを見かねて、気を引く必殺のスパイスを階上からザルにのせて届けるお節介焼のおばさんのアイデアを入れた料理はこの上なくおいしそう。野菜中心に肉やライス、ナンが日替わりで登場し、早期退職を控えるサージャンの後任のシャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)は思わず手を出して食べてしまうほど魅力的。
とはいえ、この作品が旧宗主国のイギリスだけでなくフランスやドイツ、スイス、イタリア、オランダといった他のヨーロッパ諸国でも大ヒットし、なおかつ“歌って踊って”というイメージの強いインド映画独特の味付けが一切ないにもかかわらずインド国内でも支持されたという作品の“脱インド風”あるいは普遍的な描かれ方こそが本当の魅力なのだろう。
たとえば二人が手紙で交わすやり取りはオシャレだ。それぞれ相手の境遇に同情心が生まれた後、「昨日、昔に妻が見ていたTV番組のビデオを見付けた。妻は同じ冗談に何度も笑うんだ。まるで初めて聞いたようにね。あの頃の思い出にずっと浸っていたい」とサージャンがイラに語る。そんな優しさがにじみ出る男心に、ささくれだっていたイラの心は溶けはじめる。
逆にイラがすっかり心が離れてしまった夫に心を痛め「ブータンに行きたい」とつぶやけば、サージャンは「一緒に行ければいいな」と書く。ここまでくれば「いつまで文通を続けるの? 私たちは逢うべきだわ」というイラの熱情に行き着く。
どこの国でも交わされそうな洗練された語り口。ベタベタのインド風味はここにはない。しかも心がどんどん傾いていくイラに後押しするような音楽の巧みな使われ方。脚本を書いたリテーシュ・バトラ監督のセンスが随所に光る。
監督の経歴と作品の作られ方にも新しいインド映画の時代が来たことをうかがわせる。リテーシュ・バトラ監督は映画監督志望が強く、アメリカで経営コンサルタントの仕事をあっさり捨てて有名なニューヨーク大学の映画学校に入学。しかし自分には合わないと1年半で辞め、ロバート・レッドフォード主宰のサンダンス・インスティテュートに編入。そこで当人から大きな刺激を受け映画作りを本格化させた。
最初から国際的な共同製作を想定して、それに理解のあるインドのプロデューサーを見付け、国際チームを結成して資金面からスタッフまで国際色豊かな人材を集めた。合作の難しさをあげる人は多いが、言葉の問題や文化、制作システムの違い等の障害を難無く乗り越えていくパワーとスピードは東アジアの常識とはだいぶ違うようだ。監督の長編第2作が楽しみになってきた。
キャスティングの的確さについても触れておきたい。清楚なヒロインのイラを演じたニムラト・カウルは、監督がこの作品のために時間をかけて見つけた舞台俳優。その相手役のサージャンには「スラムドッグ$ミリオネア」や「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」など国際的に活躍するイルファーン・カーン、そして陰のある後継者役のシャイクには「カハーニー/物語」や「血の抗争」で印象深い役を演じたナワーズッディーン・シッディーキーを当てるなど、実力十分の役者をそろえている。昨年のカンヌカンヌ国際映画祭批評家週間観客賞 「めぐり逢わせのお弁当」は8月9日よりシネスイッチ銀座ほか全国公開【紀平重成】
「めぐり逢わせのお弁当」の公式サイト
http://lunchbox-movie.jp/
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