第506回 「帰来」

中国で公開された「帰来」のポスター。左からコン・リー、チャン・ホイウェン、チェン・ダオミン
先日、チャン・イーモウ監督の最新作「帰来」をDVDで見ることができた。貸してくれた友人からは海賊版らしいと聞いていたが、話題作を早く見たい一心ですぐに鑑賞。中国の文化大革命を背景にした純愛物語で、赤を印象深く使ういわゆる“チャン・イーモウ印”とでも言うべき表現が随所に見られ、大いに楽しめた。もちろん泣かせどころはたっぷり。監督とコン・リーが久しぶりにタッグを組むという話題性もあり、日本公開は間違いないだろう。
と、言いながら足をすくうようで恐縮だが、不満もないわけではない。というのも、この作品は「愛は認知症を超えられるか」が見どころになっている。つまり認知症を正確に表現していないとこの作品を存分に堪能できないのだ。もちろん世界のチャン・イーモウ監督である。認知症の人の記憶を何とか取り戻させたいとあれこれ工夫する様子は、よくここまで調べたなと思うほどに正確、かつ感動的だ。ところがただ1点、コン・リー扮するヒロインの認知症になるスピードが早すぎるのである。
これには説明がいる。まずは物語の御紹介から。文革最中の1970年代前半、右派分子として西部の農場へ送られていた夫(チェン・ダオミン)が逃亡したという連絡が妻(コン・リー)のところに届く。追跡する側の厳しい警戒の中、夫は駅で会いたいというメモを残す。愛する夫への会いたさに妻は着替えや食料の入った袋を持って駅へ向かうが、父親と暮らした思い出が少ない娘の丹丹(チャン・ホイウェン)は革命バレエのヒロイン役をもらいたかったこともあって密告。妻の目の前で夫は逮捕されてしまう。
10年に及ぶ文革が77年に終わり、名誉回復した夫が戻ってくると、駅に迎えに来たのは娘だけ。その娘は紡績工場で働き妻とは別居していた。けげんな面持ちで家に戻ると、妻は夫の顔を全く覚えていなかった。
このストーリー通りだと、夫の逮捕から帰還までは数年。認知症、とくにアルツハイマーは10数年~20年のゆっくりした時間の流れで進行して行く。わずか数年で夫の顔も分からないほど記憶が失われていくと考えるのは不自然だ。あるいは夫が駅で逮捕される際に妻が転倒したことで頭を打ち脳血管性認知症になったと考えることも可能だが、それでも顔もわからないほど進行するものだろうか。
物語を劇的にするために脚本作りの段階で無理をしたのかなというのが筆者の感想だ。この映画の原作はグリン・ヤンの小説で、同監督は「金陵十三釵」に続いて彼女の作品を取り上げている。機会があれば、こちらにも目を通してみたい。
とはいえ、認知症の人特有の反応など認知症についての描写は驚くほど正確だと思った。たとえば昔好きだった映画や写真を見ることで古い記憶を取り戻すことは可能なので、医師に勧められ夫や娘が母に見せたり、音楽の効用もあると思って夫がある方法を試してみる場面は、多くの人の涙を誘うかもしれない。ネタバレになるので詳しくはご紹介できないが、古い手紙を見つけ出し、それを夫が自身の声で妻に語りかけるという場面も多くの人の涙腺を緩めるだろう。映画や写真、そして音楽だけでなく、文字の力、声の力は認知症の人の記憶を改善させる有効な方法として研究、実践されている「回想法」の考え方に通じていて、監督の事前の準備が並大抵ではなかったことをうかがわせる。
同様に監督の赤い色へのこだわりも「紅いコーリャン」「紅夢」の系譜に連なるもので印象深い。本作では娘の丹丹が革命バレエ「紅色娘子軍」を踊るシーンは文革期に高校、大学時代を過ごした筆者としては懐かしさもひとしおだ。
それにしても娘役のチャン・ホイウェンの踊りは本格的で美しい。北京舞踊学院在学中にスカウトされたというだけのことは十分にある。
チャン・イーモウ監督が新人を抜擢して人気女優に仕立て上げていく、いわゆる「謀ガール」の新旧の顔合わせも中国では話題に。チャン・ホイウェンは踊りで強い印象を与えたが、演技力では圧倒的にコン・リーに軍配が上がる。ただそこに座っているだけ、“演技をしない演技”とも言われるほどに存在感を増したコン・リーの魅力を日本公開が実現した暁にはぜひともみなさんに味わってほしいと思う。【紀平重成】