第507回 「バルフィ!人生に唄えば」
耳が聞こえず、話もできない青年が、目の表情や身ぶりなど類まれな表現力で二人の女性の心を虜にする。その出会いと最期の別れまでを描いた物語は、悲しみより不思議な幸福感に浸ることができるのはなぜだろうか。それは「言葉より心を通わせることが大事」という人生の“真理”を彼らが身をもって示しているからかもしれない。日本公開が相次ぐインド映画の勢いと広がりを実感させるお勧めの一作だ。
物語は現代から始まる。老境に入りかけたシュルティ(イリヤーナー・デクルーズ)のもとにバルフィ(ランビール・カプール)が危篤という知らせが入る。バルフィは富も地位もある男性と結婚した彼女の人生を大きく変えてしまった40年来の友人。というより何度も別れと再会を繰り返した元恋人だ。行かないわけにはいかない。
病床に駆け付けると、そこには2人とかかわりの深い元警部のダッタも居た。彼女が警部と知り合ったのは1978年。バルフィが銀行強盗と自閉症の少女ジルミル(プリヤンカー・チョープラー)の誘拐事件の容疑者だと告げられ、捜査への協力を求められたことによる。やがて物語はその6年前、インド北部の美しいリゾート地、ダージリンでシュルティが初めてバルフィに会い、恋に落ちた時へとさかのぼる。
かように筋を追って行っても、時も場所も次々に飛んでいくのでにわかには理解しがたい。それを要約すれば、ろうあの若者と豊かな家庭出身の女性、さらに知的障害のある女性の三角関係を40年という長い時の流れに沿って描いた笑いあり涙ありの感動的ラブストーリーということになる。
話を盛り上げているのは美男美女の3人の演技力による。バルフィは一目ぼれのシュルティの心を自分に向けさせるために感情をストレートに伝えるが、それを演じるランビール・カプールが繰り出す身振り手振り、あるいは甘い眼差しは演技の域を超えているようにすら見える。
一方のシュルティを演じたイリヤーナー・デクルーズは大きく魅惑的な目の持ち主で、夫と恋人のどちらを選択するか、といった揺れる感情を情感豊かに表現。圧巻は映画のラスト近く。人生の岐路に立って即座に重大な決心をしなければならない場面で、ある選択により万感こみ上げるものがあり、それをこらえる姿が美しく、切ない。
2000年のミスワールドに輝いたプリヤンカー・チョープラーは日本では「DON 過去を消された男」等で知られるが、今作では美貌を封印し、自閉症の少女ジルミルを可愛く健気に演じる。一人の男を信じて付いていく姿は、無垢の心を持った少女のように見えるが、“ライバル”シュルティに向けた恋のさや当ては微笑ましい。
アヌラーグ・バス監督は随所に映像作家としてのこだわりを見せている。ここぞという場面で流れる曲を3人組のバンドに演奏させ同じ画面に登場させたり、登場人物の心のひだを震わせるような曲を流したりと、音楽的な感性がすばらしい。また言葉を話せないバルフィの境遇に合わせ、無声映画時代の人気俳優チャールズ・チャップリンやバスター・キートンを彷彿とさせる仕草を披露させてもいる。名優へのオマージュともいえるが、全体に映画愛に満ちた作品と言えるかもしれない。
それにしても2人の女性からここまで愛されるバルフィは幸せ者である。でもそれは彼の方も惜しみなく愛を与えたから、と言った方が正確かも知れない。しかもその愛は言葉ではなく心そのもので語ったものだ。ラストでシュルティがバルフィと交わす“会話”にも彼女の心からの愛があったのだと思う。そしてバルフィの喜びを彼女も自分のこととしたに違いない。このシーンは何度見ても泣ける。
「バルフィ!人生に唄えば」は8月22日より、TOHOシネマズシャンテ、新宿シネマカリテほか全国公開【紀平重成】
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「バルフィ!人生に唄えば」の公式サイト
http://barfi-movie.com/