第519回 「ミッドナイト・アフター」

「ミッドナイト・アフター」の一場面。バスの乗客と運転手だけしかいない世界に取り残されてもけんかは絶えない
もしかしたらフルーツ・チャン監督は「新・香港返還三部作」を撮るのではないか。そんな期待を十分に抱かせるメッセージとボリュームを併せ持つ作品を世に送り出した。
東京国際映画祭で上映された「ミッドナイト・アフター」はチャン監督が久しぶりに地元香港にカメラを向けた作品。
旺角(モンコック)から大埔(タイポー)まで北上する深夜バスが獅子山(ライオン・ロック)トンネルを抜けた途端、異変に見舞われる。たまたま乗り合わせた運転手を含む17人を除いて誰もいない世界に迷い込んでしまったのだ。
バスから降りた乗客は無人の町をさまようが、やがて次々と困難が襲い……とSF、ホラーの味付けながら、コメディに政治的風刺も混じるという欲張りな内容。しかもサイモン・ヤムやサム・リー、ラム・シュー、ウォン・ヤウナム、ジャニス・マン、クララ・ワイといった一癖も二癖もある俳優たちが豪華出演し、いずれの俳優もキチンと個性が描き分けられているというのだから、監督の力の入れようもうかがえる。
しかし、なぜ17人だけが残されたのかという謎や、正体不明の感染症で次々に仲間が死んでいくことの唐突さなど、解明できない事柄が多すぎて、人によっては展開に乗っていけないケースもありそうだ。
チャン監督はそれを承知で作ったのではないか。そう思わせるフシがある。それは監督が香港返還の行く末を案じていて、人々に考え行動することを求めるという“確信的”メッセージを作品ではストレートに出せないため、何でもありのごった煮状態にしてさり気なく見せようとしているように思える。
たとえば香港の行政長官は今は誰それだが、その後は……と語らせるなど敏感な問題に触れるかと思えば、残った仲間同士が行動する際に「ルールは我々で決められる」というセリフを言わせる。映画の中では、自分たちしかいないのだからルールは自分たちで決めればいいという当たり前の結論だが、それが今の香港の状態に当てはめれば、極めて政治的な発言ということにならないだろうか。
また登場人物たちは再三のように「モンコックに帰りたい」と言う。これもモンコックを聖地とみなす香港の「雨傘運動」の人々の思いと重なる。まるで今日を予想していたかのような展開には驚かされる。
17人は時間と空間の歪みにはまって別の時空に行ってしまったようにも見える。そのはまり込んだ時空から眺める元の場所は懐かしい返還前の香港だ。もう二度と戻ることのできないあの時代。取り返すことができないからこそ戻って欲しいという思いが募る。
と、まあ、メッセージの解釈はどのようにもできるが、フルーツ・チャン監督の描く別世界は頽廃という濃密な空気が漂う。仲間割れ、性暴力、処刑、妄言、麻薬中毒、原発事故……。これが未来の香港では絶望的だ。そうではない世界を実現することはできないのか。行動する若者が登場することを切望する監督の思いが滲む。
ともあれ主演級のラム・シューの活躍振りが素晴らしい。あのコロコロした体型でダンスを披露したり、特大包丁とガソリンの容器を抱えてヨロヨロ歩いたりと存在感は十分。またサイモン・ヤムも見事な髪型とマッチするように偏屈でうるさい中年男を好演している。クララ・ワイの怪しい占い師役も笑える。
映画は感じるままに楽しみ、その一方、したたかに盛り込まれたメッセージはしっかり受け取る。その先に「新・香港返還三部作」の続編があれば……。困難はあるだろうが監督の意気に期待したい。【紀平重成】
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「第27回東京国際映画祭」の公式サイト
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