第524回 「イロイロ ぬくもりの記憶」
どちらがいいと言うわけではないが、こうも味わいの違う作品ができるのかと感心してしまう。同じ1997年のアジア通貨危機を背景に描きながら、方やジョニー・トー監督のサスペンスフルな娯楽大作「奪命金」、そしてもう一つが子育てや移民政策、階層社会といった問題を浮かび上がらせるアンソニー・チェン監督の標題作だ。共通するのは切り口は違っても人間性に深く寄り添って行こうという作り手の姿勢だろう。
すでにご存知にようにチェン監督は東京フィルメックスの映画人材育成プロジェクト「ネクスト・マスターズ2010」(現「タレント・キャンパス・トーキョー」)の1期生だ。そこで本作は最優秀企画賞を受賞し、その勢いをかって、カンヌ国際映画祭新人監督賞や台湾の金馬奨4部門に輝くなど世界中の映画祭で称賛された。
このように世界が高く評価したのは、経済発展に伴い人々が豊かさを享受しつつも時間やお金に振り回され子育てや家族の問題に悩む一方、移民や階層社会の問題に突き当たるという国を超えた普遍的なテーマを鮮やかにすくい取っているからだろう。
とりわけ経済発展が他のアジアの国々より早く、また成功の度合いも抜きん出ていたシンガポールにとっては影の部分も大きかったことは想像するに難くはない。映画はその影の部分を愛情深く、時に切なく描いていく。
97年、シンガポール。共働きの両親と暮らす一人っ子のジャールー(コー・ジャールー)は、わがままのし放題で家族の手を焼かせていた。思い悩んだ母親(ヤオ・ヤンヤン)の提案で一家にフィリピン人のテレサ(アンジェリ・バヤニ)が住み込みのメイドとしてやってくる。高層マンションの部屋は狭く、テレサと相部屋になったジャールーはなかなか心を開かないどころか、時には彼女が解雇されかねないいじわるまでしでかす。しかし国に残した息子への想いを絶って懸命に働くテレサの姿に、自分と同じ孤独を感じ心を開いていく。そんな折、ジャールーの父親(チェン・ティエンウェン)はアジア通貨危機のためリストラされ、母親は息子が家族のように懐いたテレサに対して嫉妬のような感情を抱くのだ。
これが長編デビュー作となった若干30歳のアンソニー・チェン監督は、少年時代に8年間、自分の家にもフィリピン人のメイドがいたことや父親が通貨危機で失業した体験などを題材に、ごく普通の一家の歩みを通じて資本主義社会の光と影を鮮明に映し出した。
原題の「父媽不在家」は「父と母は不在」。つまり両親不在の穴を住み込みのメイドが補うという関係はシンガポールの家庭ではごく普通のこととされてきた歴史がある。そのメイドはかつて中国大陸から来ていた時代があり、その後フィリピン、インドネシアと時計回りに出稼ぎの“供給先”が変わり、最近はミャンマーなどに移っているという。まるで経済発展のドミノ現象を見ているようでもある。
このような社会の変動を鳥の目からではなく自身の皮膚感覚でとらえ映像化することに成功したアンソニー・チェン監督の才能を認めないわけにはいかないが、その一方で世界の巨匠に認めてもらう機会に恵まれた監督の運の強さにも驚かされる。東京フィルメックスの映画人材育成プロジェクト「ネクスト・マスターズ2010」の講師兼審査員は台湾のホウ・シャオシェン監督だったし、金馬奨の審査員はハリウッドでも成功したアン・リー監督だった。
メイドとの長い暮らしや成長期の少年のお話は「桃さんのしあわせ」や「ヤンヤン 夏の想い出」に通じるものがあり、この2作がお気に入りの方にはお勧めだ。
現在は国際都市ロンドンに暮らし自ら進んで多様な刺激を受けているチェン監督の次回作はどのような内容になるのだろうか。いまから楽しみである。
メイド役のアンジェリ・バヤニは今年の東京フィルメックスで最優秀作品賞に輝いた「クロコダイル」(フランシス・セイビヤー・パション監督)でも主演を務めた女優だ。出演作が次々と大きな賞を取る彼女は新進監督にとって幸運の女神かもしれない。
「イロイロ ぬくもりの記憶」は12月13日よりK’s cinemaほか全国順次公開【紀平重成】
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「イロイロ ぬくもりの記憶」の公式サイト
http://iloilo-movie.com/