第530回「二重生活」

若者の運転する車が若い女性をはねる。すべてはそこから始まったかに見えたが
おなじみの龍のマークが映画の始まる前に映し出される。それを見て、一瞬複雑な思いにとらわれた。この作品が中国映画管理局の上映許可を得ているということは、ロウ・イエ監督が意に沿わない当局からの修正要求を受け入れている可能性もあるからだ。そんな痕跡がないかと心配しながら見続ける。しかし、それが杞憂だとすぐに分かった。それどころか、随所に思い切ったシーンがあり、逆によく当局が許可したものだと思わされた。ロウ・イエ監督健在なりを確認する内容だった。
この作品が注目されるのは、ロウ・イエ監督が天安門事件を題材にした「天安門 恋人たち」で当局から5年間の映画製作禁止処分を受けた後、中国国内ではゲリラ的に「スプリング・フィーバー」を、そして海外では「パリ、ただよう花」を撮り、表現者として一歩も引かない意志を示していたからである。この2作品は中国国内での上映ができないという痛手を負ったが、禁止令が解けた後の2011年に撮った本作は国内での製作はもちろん、上映も許された初めての作品ということになる。中国国内をはじめ世界中の映画ファンが待ち望んでいたといってもいいだろう。

妻には優しいよき夫を演じるヨンチャオ(チン・ハオ)
導入部分はテンポはいいが、人間関係がすぐには分かりにくい。しかし「パープル・バタフライ」以来というミステリー作品は物語が進むにつれて謎解きの醍醐味を味わうことができる。
雨の降る武漢市。若者グループの乗る車が若い女性をはねてしまう。はねたのは経済界有力者の子弟で、死んだ女性の家族と金銭的示談がまとまり解決したかに見えた。しかし頭に打撲痕があり死因に疑問が出る。有力者の圧力で事件は揉み消された形だが、1人の刑事(ズー・フォン)が事件を追い始める。やがて被害女性が残した携帯メールから数時間前まで一緒にいた男が浮上する。

夫には愛人がいると気づく妻のルー・ジエ(ハオ・レイ)
優しい夫と会社を共同経営しているルー・ジエ(ハオ・レイ)は現在子育てで休業中。ある日娘が通う幼稚園の級友の母親サン・チー(チー・シー)から「夫に愛人がいるみたい」とカフェで相談を持ちかけられる。窓の外を見ると、自分の夫ヨンチャオ(チン・ハオ)がホテルから出てきて若い女性とキスをしていた。夫には愛人がいた。

愛人生活を変えたいと願うサン・チー(チー・シー)
平穏な日常がガラガラと崩れていく。最初の事故と夫の愛人問題はどうかかわって来るのか、登場人物それぞれの思惑はどう影響し合うのか。夫の二重生活から始まったミステリーは複雑に絡み合い、緊迫度を増す。
冒頭で「思い切ったシーン」と紹介したのは、経済界有力者の子弟による事故が金銭を払う示談で解決されたことだ。共産党幹部や経済界の子弟が親の政治力や金銭で事件をもみ消しにする事例が多発している。現状をありのままに紹介することは問題にならなかったのだろうか。本来は隠しておきたいはずだが、その一方で摘発に躍起になっている事案でもあり、うがった見方をすれば、映画でガス抜き?またはもはや隠しようがないほど広がっていることを自ら認めたということであろうか。

同じ幼稚園仲間の子供たちは無邪気に遊ぶ
プレス資料によれば、このシーンでの修正要求はなかったが、セックスや暴力シーンに関しては出され、一部のシーンを減らしたという。そして中国での公開前にさらに暴力シーンの削除命令が出されたため、ロウ・イエ監督は当局とのやり取りを中国版ツイッターで公開し、抗議の意思を示すためクレジットから自分の名前を消したという。
正直言えば、セックスや暴力のシーンは一部の韓国映画に比べれば全く問題にならない程度である。それでも削除を求めて来たことで、当局の現時点における“基準”が浮かび上がったことは事実である。
そこで思い出したのは「スプリング・フィーバー」の10年11月日本公開前に来日したロウ・イエ監督に筆者がインタビューした際の発言だ。
顔色のいい監督に、「取り巻く環境がいい方向に向かっているのか」と尋ねると、「ラッキーだと思います。そう思うのは私は映画を撮り続けることができている。それが大きいです。電影局がこれ以上僕をいじめないでほしいです」と笑みを浮かべた。
思わず「日本には『出る杭は打たれる』ということわざがありますが、最近はその後に続けて『出すぎた杭は打たれない』とよく言います。相手を励ます意味もありますが、出過ぎると、実際にたたこうという人はあきらめてしまうのでしょう」と声をかけた時に監督の反応は……。
「僕はその出すぎた杭になる」(笑い)
その思いを現在も持ち続けているのだろう。そうとすれば「二重生活」で当局の修正要求に抗議して作品のクレジットから自分の名前を消したことも理解できる。そして当局とのやり取りは、どこまで頑張れば現時点で当局が認めるのかを絶えずテストしている行為という風にも見える。監督が頼もしく見えるではないか。
「二重生活」は1月24日より新宿K’s cinema、渋谷アップリンクほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「二重生活」の公式サイト
http://www.uplink.co.jp/nijyuu/