第533回「唐山大地震」

バラバラになった家族の32年の想いは一つになるか (C)松竹
これ以上はないという過酷な体験をした時、人はどんな方法で立ち直ることができるのだろうか。一人は地震の最中に見捨てられ命を落としそうになった娘、そしてもう一人はその娘を捨てた母親である。
1976年に起きた唐山大地震を題材に、フォン・シャオガン監督が描いたヒューマンドラマだ。
中国河北省の工業都市唐山市で起きたマグニチュード7.8の直下型地震は死者24万人、震災孤児4200人以上という20世紀最大規模の被害を出したにもかかわらず、発生当初は被害の全容は伝わらなかった。文化大革命の末期とはいえ、権力闘争も続き、「竹のカーテン」が敷かれて国外はもちろん国内の人でさえ惨状を知ることは難しかった。
映画は特撮も使い、わずか23秒で多くの建物が崩壊した大地震を生々しく描いてはいるが、その描写はわずかで、被災した人々のその後を丹念に綴り、「心の復興」に大きく比重を置いた構成になっている。

つつましく暮らしていた家族だったが (C)松竹
貧しいながらも唐山市で幸せな生活を送っていた四人家族を7月の深夜、直下型地震が襲う。妻と外にいた父は家に取り残された二人の子供を助けようとするが、倒壊した建物の下敷きとなり命を落とす。一人になってしまったと絶望する母親に、翌朝二人の子供がガレキの下でまだ息をしているという連絡が入った。喜んだのもつかの間。救助活動は難航し時間ばかりが過ぎて行く。さらに救出できるのは一人だけという、あまりにも過酷な選択を迫られる。思わず逡巡し「息子を……」と言って泣き崩れる母親。その声をガレキの下の娘は聞いていた。

助かった息子は愛情いっぱいに育てられる (C)松竹
映画は離れ離れになった娘と、母親と暮らす息子がやがて成長し、それぞれのトラウマを抱えながら生きていく様子をじっくりと見せていく。そこへ2008年5月12日、四川大地震が発生する。カナダにいた娘はテレビの報道を見てすぐ帰国することを決意。運命の歯車が回り始める。
「女帝[エンペラー]」や「狙った恋の落とし方。」など異なるジャンルの作品を次々と大ヒットさせるフォン監督は、この作品を作るに当たって、唐山市民が映画化を求めたということを重視したようだ。市民の中にはまだ心の整理がついていない人もいたことだろう。その一方で記録に残したい、こんなに復興したところを見て欲しいという思いの人もいただろう。あるいは四川大地震が起きた今だからこそ、我々の復興への歩みを見て、あなたがたも勇気を出して頑張って欲しいという“先輩”としての熱い思いもあったに違いない。

さまざまな思いを越えて。右は娘役のチャン・チンチュー (C)松竹
それは阪神・淡路大地震を経験した人たちが東日本大震災の復興支援に手を差し伸べたこととよく似ている。手を差し延べてもらった恩返しとして自分たちも人の役に立ちたいという思い。経験した者だけが知る深い思いなのかもしれない。映画はまさにそんな気持ちで四川に向かった姉と弟の姿を捉えている。
映画はフォン・シャオガン流の涙腺をかなり刺激する場面あるかと思うと、復興という中国人の心を一つにする熱気もみなぎらせる。また四川大地震の記憶がまだ新しい2年後の公開(10年)というタイミングも良かったのだろう。今よりスクリーン数の少なかった当時としては天文学的数字の2000万人動員の記録を作った。

フォン・シャオガン監督(2011年1月18日、筆者写す)
同作品の日本公開は11年3月26日に予定されていたが、直前の同11日に東日本大震災が発生したため、配給の松竹が公開を延期。それから4年を経て、復興を描いた作品として見てほしいとの願いから公開を決めたという。
映画を見ると、神戸でもそうだったが、建物の復興は早くできるのに心の回復は難しく時間がかかるということがよくわかる。しかし、困難だからこそ、いつか心の平穏が訪れてほしいと願うのも当然である。監督はその期待に応えてくれるだろうか。
「唐山大地震」は3月14日より東劇ほか全国順次公開。また大阪アジアン映画祭でも東日本大震災当日の11日に特集上映される【紀平重成】
【関連リンク】
「唐山大地震」の公式サイト
http://tozan-movie.com/
大阪アジアン映画祭の公式サイト
http://www.oaff.jp/2015/ja/index.html