第535回「妻への家路」

「妻への家路」の一場面(c) GAGA Corporation. All Rights Reserved.
この作品は本コラムの506回でも紹介している。その時は原題の「帰来」と印刷された、どうやら中国の海賊版らしいDVDを見て思ったことを書いたものだ。
今回、日本公開に先立ち改めて作品を見直したが、チャン・イーモウ監督とコン・リーが久しぶりにタッグを組み、反右派闘争から文化大革命期にかけての中国の政治的混乱を背景に夫婦の過酷な試練と深い愛を感動的に描いた作品という基本的な印象は変わらなかった。それでもあえてもう一度ご紹介するのは、それだけの価値がある魅力的な作品だからということと、コン・リー演じるヒロインの記憶喪失の原因が映画を見直しても確信が持てず、気になるからである。

逃亡中の夫に荷物を持たせ逃がそうと走る妻のフォン・ワンイー(コン・リー)(c) GAGA Corporation. All Rights Reserved.
ともあれ、ゲリン・ヤンの原作をもとに、反右派闘争で逮捕され、西域で強制労働を強いられた主人公が、帰郷するという結末部分から物語を始めた映画の脚本と演出は感動的で大いに涙腺を刺激するはずだ。
1977年、文化大革命が終結し、反右派闘争で逮捕されて以来、20年ぶりに解放されたルー・イエンシー(チェン・ダオミン)は、妻のフォン・ワンイー(コン・リー)と再会する。しかし妻は彼を夫だとは理解できなかった。イエンシーは他人として向かいの家に住み、娘のタンタン(チャン・ホエウェン)の協力も得ながら、妻の記憶の回復を願うが……。

夫のルー・イエンシー(チェン・ダオミン)は、妻の様子が気になって仕方がない(c) GAGA Corporation. All Rights Reserved.
妻に甲斐甲斐しく寄り添い、自分を思い出してもらおうとあの手この手で奮闘するイエンシーの姿は献身的で切ない。彼が「5日に帰る」としたためた手紙を急きょ娘に手渡しをさせ、駅で待ち受ける妻に近づくシーンなど胸締めつける場面が次々と押し寄せる。しかし妻の病状回復は思わしくない。
夫に会うことを信じる妻、妻が思い出してくれることを信じる夫。雨の日も雪舞う寒い日も駅で待ち続ける二人の姿は涙を誘うが、互いに信じ続けられるという意味では他では得難いほどに幸せで美しい。
収容所で20年間書き溜めた何百通ものワンイーへの手紙を本人が直接読み聞かせると、自分では文字が判読できないことが多いのでイエンシーに読むことを懇願する妻との新しい生活が始まる。新しく書き出した手紙も含め、読み続ける限り、そして一緒に駅で待ち続ける限り、二人は身近にいることができ、語りあえる。他に何を望むのだと監督は言いたげである。

娘のタンタン(チャン・ホエウェン)に励まされ、夫からの手紙を読むワンイー(c) GAGA Corporation. All Rights Reserved.
ただ、夫の顔の記憶だけ失ったように見えるワンイーの行動で不思議に思う点もある。毎月5日になると駅へ向かいに行き、何度も期待を裏切られているのに、なぜ疑問を感じないのだろうか、なぜ手紙を出すなり電話して夫の収容先に確かめないのか、と。いやこんな疑問を差し挟んではいけないのかもしれないが。
それよりも気になるのは妻を診断した医師が「心因性記憶障害」と病名を告げていることだ。作品の中では、夫を待ちわびるあまり、その心労から記憶障害になったとされている。心因性記憶障害は認知症と症状が似ているので混同されることが多い。筆者も第506回のコラムではワンイーは認知症との理解で御紹介し、いくら夫が目の前で再逮捕されたとはいえ、そのショックで認知症になるのは早すぎると疑問を投げかけた。だが、心因性記憶障害なら一気に記憶障害が出てもおかしくはない。それでも帰りを待ちわび出したのは夫が逮捕された1957年からなので、その間に記憶障害が出なかったのに、なぜ74年になって発病?と疑問は消えない。

父親の再逮捕は自分が密告したことだと自責の念にかられる娘のタンタン(c) GAGA Corporation. All Rights Reserved.
いや、細かい所に筆者はこだわり過ぎているのかもしれない。記憶障害を起こしうる事件は他にも映画の中で直接、あるいは間接的に2か所で描かれている。そういう意味では謎解きの楽しさを抱えている作品ということもできるかも知れない。
チャン・イーモウ監督は「私にとって本作は、若い頃の情熱と熟練した技術の両方を動員して挑んだ作品です」(プレス資料)と自信をみなぎらせる作品。しかもコン・リーと相手役のチェン・ダオミン、さらに娘役のチャン・ホエウェンの3人が展開する演技の妙には、それだけで見る価値があると感じさせる引力がある。
「妻への家路」は3月6日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開。【紀平重成】
【関連リンク】
「妻への家路」の公式サイト
http://cominghome.gaga.ne.jp/