第536回「海にかかる霧」
まだ撮影が始まる前から話題作として注目される作品がある。「殺人の追憶」を大ヒットさせて韓国を代表する人気監督に躍り出たポン・ジュノが初めて制作に回り、そのヒット作の脚本を手がけた盟友シム・ソンボの初監督作品。しかも売れっ子の実力派キム・ユンソクと「JYJ」のパク・ユチョンの異色の共演が実現し、さらに原作は実際に起きた密航者大量死事件を描いた舞台劇「海霧(ヘム)」というのだから注目を集めないわけがない。しかしシム・ソンボ監督は話題性に押しつぶされることなく、見応え充分のサスペンスに仕上げることに成功した。
映画は小さな漁船という閉鎖空間の中で、極限状態に追い込まれた人間が理性をかなぐり捨てて闘い、それぞれの立場にしがみつき、あるいは大事なものを守ろうと命をかけるバイオレンスとサスペンスも合わせた心理ドラマだ。閉鎖空間と言えば、ポン・ジュノ監督の「スノーピアサー」を思い出す。自身の手がける作品の選考基準には「閉鎖空間」「極限」「人間心理」という要素が上位に並んでいるのだろうか。
2001年に韓国の麗水(ヨス)で密入国しようとした中国人60人のうち25人が船内で窒息死し遺体が海に捨てられた「テチャン号事件」を題材にした舞台劇が原作だ。
かつてはアンコウ漁で稼いでいた麗水の漁船チョンジン号の船長チョルジュ(キム・ユンソク)は、家宝同然の船への愛着から国が補償してくれる廃船より修繕を望む。しかし貯金も底を打ち修繕もままならないチョルジュ船長は、中国に住む朝鮮族の密航者を乗船させるという違法で危険な仕事に手を出す。出稼ぎ目的の彼らが乗る密航船と沖合で合流し、密航者たちを陸まで送り届けるという手はずだったが、突然現れた海上警察の立ち入り検査に冷や冷やし、天候も急変して、事態は思わぬ方向へとなだれ込んでいく。
ネタバレになるので詳しい紹介は避けるが、映画のキーパーソンは次の3人。「船では俺が大統領で父親だ。貴様らの命は俺が握っていることを忘れるな!」と過酷な運命の中でも最高責任者であり続けようと行動する船長のチョルジュ、船の経験は浅いが純朴で、密航者の1人の女性に同情し「俺の命に代えてでも、必ずお前を陸に上げてやる」と力強く励ますドンシク(「JYJ」のパク・ユチョン)、さらに韓国に渡った兄を捜すために危険な密航を企て、「全部目撃してしまったわ……私も同じ目にあうの?」とおびえる朝鮮族のホンメ(ハン・イェリ)。
優しすぎて精神に異常をきたす機関長や生真面目な甲板長、欲望のまま生きる船員ら個性的な役柄の人間関係が、ジェットコースターのような急展開の連続でもろくも崩れ去っていく後半は、画面を支配する重い緊迫感に耐え続けるしかない。
「殺人の追憶」を思い起こさせるサスペンスも魅力だが、本作の最大の見どころはラストに待っている。極限状態の中で果たされた約束。しかし同じ道を見つめているはずの相手の視線の先に見えたものは……。様々な解釈が可能なラストの圧倒的な余韻が、見る者をしばし映画の世界にたゆたうことを楽しませてくれるだろう。
「海にかかる霧」は4月17日より、TOHOシネマズ新宿にて先行公開。
同24日より、全国公開。【紀平重成】
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「海にかかる霧」の公式サイト
http://www.umikiri-movie.com/