第540回「追憶と、踊りながら」

「追憶と、踊りながら」の一場面。主演のベン・ウィショーが繊細な男の魅力を演じている (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
「大酔侠」のチェン・ペイペイが主演で、オープニングではラジオから李香蘭の「夜来香」が流れていると聞けば、アジア映画ファンは平静でいられるだろうか。いったい何時の作品?といぶかしがる人もいるかもしれないが、2014年制作のイギリス映画。相手役は「007 スカイフォール」のベン・ウィショーだ。2人の共演を思いついたのがカンボジア生まれの若いホン・カウ監督でこれが長編第一作というから、さらに驚かされる。奇跡のコラボレーションは次々と化学反応を起こし、至福の映像を紡いだ。

老人ホームに母親のジュン(チェン・ペイペイ)を訪ねてきた息子のカイ(アンドリュー・レオン)は何か言いたげだが…… (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
ロンドンの老人ホームで暮らすカンボジア系中国人の女性ジュン(チェン・ペイペイ)は、一人息子のカイ(アンドリュー・レオン)が面会に来てくれる日を楽しみに毎日を過ごしていた。ジュンはカイの友人と名乗るリチャード(ベン・ウィショー)を警戒していたが、リチャードの方はなぜかジュンのことを気にかけている。そしてリチャードは英語の話せないジュンのために通訳まで雇う。
大半が通訳を介してやりとりする室内劇なのに会話にグイグイと引き込まれていくのは、脚本の良さもさることながら主演二人の存在感が並外れているからだろう。

ある日、カイの友人だというリチャード(ベン・ウィショー)がジュンを訪ねてくる (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
まずは、その二人がキャスティングされたいきさつを。
「パフューム」でのベンの演技に魅了された監督は、リチャードの役は繊細でいながら内面に強さと情熱を秘めるベンのような俳優がピッタリと考えた。しかし彼はすでにスター俳優で、低予算のインディペンデント映画に出てもらえるとは思っていなかった。そこで「ベンみたいな人」とキャスティング担当のディレクターに話すと、「それなら本人に頼みましょう」という素晴らしい返事が返って来た。そこでベンに「あなたがスターだから出てほしいのではなく正当な理由があるから出てほしい」と誠実に訴える手紙を書き、脚本に添えて送ったところ、本人が出演を承諾してくれたという。

何かと気遣う様子のリチャードだが、ジュンはソリが合わないと感じている (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
この話も素敵だが、チェン・ペイペイのケースもなかなかいい。実はホン監督は“武侠影后”(武侠映画の女王)と呼ばれた伝説の女優の大ファン。存在感は抜群だし、ダンスを勉強するためアメリカで暮らしたこともあり意思の疎通に支障はない。さらに移民の母親を演じたニュージーランド映画「My Wedding and Other Secrets」も見て、出演を請うという夢が現実味を帯びてきた。ここで幸運が舞い込む。知り合いのシンガポールのエリック・クー監督がチェン・ペイペイのマネジャーを知っている人を紹介してくれたのだ。

ダンスを踊るリチャードと通訳のヴァン(ナオミ・クリスティ=左) (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
私もそうだが、「大酔侠」などの作品で見せる彼女の凛々しさに引き寄せられたという共通体験の存在や、世界に広がる中国語圏映画人のネットワークの絆というものを感じないわけにはいかない。
ホン・カウ監督は75年にカンボジアのプノンペンで生まれ、ベトナムで育ち、イギリスに移住し映画を学んだ。ポルポト政権による圧政を逃れて故郷を離れるという辛い過去を持つが、その体験は映画の中にも生かされる。
英語を話せない母親を見て、世代や文化の違い、それを乗り越えるコミュニケーションは、というテーマが次々に浮かび上がってきたという。
映画でも食べ物から性的嗜好の違いまで出てきて、時に相手を傷つけたくなくて言いだせないため新たな誤解や対立をもたらす姿が描かれる。違いを責めたり問題にするのではなく、その違いを認め合い、その上で共存して行こうという広く深いメッセージを感じるのは、作品が監督の体験に裏打ちされたであろう温かく落ち着いた眼差しで貫かれているからだろうか。
最後に登場するダンスが、この作品のテーマを象徴するように美しく幻想的、かつリズミカルで素晴らしい。ダンスの組み手が次々に入れ替わり、しかもそれが一つの映像でつながっている。現在と過去。それは1本の線で順序良く並んでいるのではなく、人は夢と同様、好きなように入れ替えて見ることができる。そんなことを最後に気付かせてくれる。
「追憶と、踊りながら」は5月23日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「追憶と、踊りながら」の公式サイト
http://www.moviola.jp/tsuioku/