第543回「私の少女」
タイトルが昨年の東京フィルメックスで上映された際の「扉の少女」から変わっている。映画の中ではドヒという名前の少女(キム・セロン)が心身ともに追い詰められ、何度も女性警察官ヨンナム(ペ・ドゥナ)の家のドアを叩くのだから「扉の少女」でも良かったのだ。しかし「私の少女」とすると、そこには新たな意味合いが加わる。むしろこちらの方が内容にふさわしいといえるかもしれない。
是枝裕和監督の「空気人形」やハリウッドの「クラウド アトラス」など海外で活躍するペ・ドゥナが、2年ぶりに韓国映画に出演し、「冬の小鳥」のキム・セロンと共演した話題作。
出足が素晴らしい。ソウルから雨の中を走ってきた車が港町に差し掛かる。道端でカエルと遊んでいて、はね上がった泥水を全身に浴び驚いて立ち上がる少女。運転していたヨンナムが車から降りて声をかける。だが少女は無言のまま青々と波打つ田んぼの中に走り去る。主演の二人が早くも冒頭で出会う絵のようなシーンだ。
ある理由で左遷され田舎町の派出所長としてやってきたヨンナムに部下が村内を案内する。そこへ外国人労働者を満載したヨンハ(ソン・セビョク)のワゴンが寄せてくる。村でただ一人の若者。彼なしでは村の経済が成り立たない。所長を紹介され「美人だなあ」とにやけるヨンハ。
夜、暗がりで一人お酒らしきものを静かに飲むヨンナム。彼女と少女には孤独の影が色濃く差し、やがて地方の過疎化とリンクする外国人の不法就労や、家庭内暴力、性的マイノリティーの問題まで絡み合うことになるすべての関係者と村内の閉鎖的な空気が手早く紹介される。それを鮮やかにやってのけたのは本作が長編デビューとなるチョン・ジュリ監督だ。
母親が蒸発して継父のヨンハと祖母に虐待されている少女にヨンナムが優しい声をかけたことで、表面上は静かな村内にさざ波が広がり、やがて大波が押し寄せることになる。最初にドヒが水たまりの泥水をはねつけられたのは、まさにこの予兆だったのかもしれない。
互いに相手の孤独を感じ取り、一緒にいる時間が増えていく二人。ヨンナムの場合は好意からの少女“庇護”であり、ドヒにとっては暴力から逃れる“シェルター”だった関係が、親密さを増すにつれて周囲からは好奇の目で見られることに。少女の清純さの陰に潜む残酷さも加わって、ヨンナムは思わぬ窮地に追い込まれる。
飼い犬に手をかまれたという訳ではない。少女にはそんな意思はないし、ただ「この人に好かれたい」という一途な思いだけだったろう。だからこそ、窮地に立つヨンナムを助けたいという思いも人一倍強かったはずだ。
村を出ることになったヨンナムが少女の行為のすべてを知って、もう一度戻ってくるラスト。かすかな希望と重たい現実に挟まれ、二人は身を固くしつつ、それでも小さな一歩を踏み出したはずだ。それはありとあらゆる男女差別を感じ取っているであろう女性監督の願望かもしれない。
ところで、映画ではこんな珍しいシーンがある。パトロール中にいじめられている少女を見付けたヨンナム。腰に拳銃を装着し、すらっとした警察官役のペ・ドゥナが、ゆったりとした歩調でこちらに近づいて来る姿の格好よさといったら。少女ならずとも心がなびいてしまいそうだ。
「私の少女」は5月1日よりユーロスペース、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中【紀平重成】
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「私の少女」の公式サイト
http://www.watashinosyoujyo.com/