第544回「追憶と、踊りながら」のホン・カウ監督に聞く

ホン・カウ監督(2015年4月21日、東京都新宿区のアンスティチュ・フランセで筆者写す)
キン・フー監督の「大酔侠」(1966年)は美しき女剣士を凛々しく演じた新人のチェン・ペイペイの人気を不動のものにし「武侠影后」に押し上げる傑作だった。彼女の最新作「追憶と、踊りながら」のホン・カウ監督にキャスティングのいきさつや作品の見どころを聞いた。
ロンドンの老人ホームで暮らすカンボジア系中国人の女性ジュン(チェン・ペイペイ)は、一人息子のカイ(アンドリュー・レオン)が面会に来てくれる日を楽しみにしていた。ジュンは息子の友人リチャード(ベン・ウィショー)を警戒していたが、リチャードは英語の話せないジュンのために通訳を雇う。
--「大酔侠」を見て以来のチェン・ペイペイの大ファンです。今回彼女をキャスティングしただけでも監督を尊敬してしまうんですけれども(笑)どういうところに惹かれてキャスティングされたんでしょうか。
「うちの母と同じですね(笑)。母は自分が映画監督を目指すと言った時からずっと反対していたんですけれども、私の作品にチェン・ペイペイが出ると言ったとたんに、あらそうなの、と受け入れてくれたんです(笑)」
--昔「大酔侠」を見た時に気に入ったとかいうことはなかったんですか?
「昔彼女が出たヒット作品からチェン・ペイペイをというふうには思いつかなかったです。イギリスであの年代の女性を演じられる女優がいないので、結局香港まで行って。自分が考えた女優リストの中にチェン・ペイペイがいました。でもその時点でも『グリーン・デスティニー』のチェン・ペイペイは素晴らしいと思いましたが、やはりカンフームービーばかりだったので。たまたまニュージーランドの作品で彼女が平凡な母親の役を演じていてそれが素晴らしかった。それで彼女にアプローチしました」

「追憶と、踊りながら」の一場面。主演のベン・ウィショー (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
--「夜来香」という曲と、最後に(息子の代わりにリチャードが)CDを見つけて持ってきてくれた「Sway」という中国語カバーの曲。この2曲を使った理由を聞かせてください。
「オープニングの曲は、観客が最初に見た時に、あ、これは昔の話なのかなと。40、50年代の音楽と映像の雰囲気に、あれ?って思わせるスタートにしたかった。でも実は現在の話ということが少しずつわかってくる。当初はテレサ・テンの歌も使いたいと思ったのですが、非常に使用料が高くて自分の作品では手が届かない(笑)、それで李香蘭さんの『夜来香』を使いました。結果的にすごく良かった。『Sway』という曲は原曲がラテンの名曲「キエン・セラ」で、英国に来てまったく西洋の文化に同化できない母親が中国の歌だと信じ込んでいる。あの時代の中国語のポピュラーソングって西洋の歌のカバーソングだったんですね。西洋のカバーソングなのに好きだっていうところにオチがあるというか、そういう意図であの曲を選びました」

ある日、息子の友人だというリチャード(ベン・ウィショー)がジュンを訪ねてくる (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
--ベン・ウィショーの主演で注目を集めています。リチャード役をベン・ウィショーは汲み取ってくれましたか。監督から見た彼の魅力を教えて下さい。
「リチャード役というのはすごく繊細な部分と強い部分を抱えている青年なので、このような役を演じきれる俳優さんはそんなにいない。自分の頭の中には『パフューム』以来尊敬しているベン・ウィショーがやってくれたらどんなに素晴らしいかと思っていました。彼がこんな低予算の作品に出るのはむずかしいと思いつつ、思いを託して脚本を送ったところ、受けてくれることになり、それだけでも大きなサプライズでしたが、また一緒に仕事をして、役への向き合い方が素晴らしくて。いろんなことに対し寛大でオープン。役を作り上げていく作業を一緒にしましたが、そのプロセスを通してベン・ウィショーのファンになり、さらに彼を尊敬することになりました」
--先ほど出た「夜来香」の曲やチェン・ペイペイというのは中国的なものを感じます。ご自身にとって中国的なものが作品にもたらす影響はどのぐらいと考えていますか。またその理由を教えてください。
「そういう捉え方もありますね。ただ音楽もキャスティングも、作品をこうしたいからと中国的なものの比重を考えるということはありませんでした。例えば音楽は昔の話だと思わせたいという意図があって選んだわけです。チェン・ペイペイの場合は自分の考えた母親の要素をまさに彼女が持っていたからで、人物中心にチェン・ペイペイを選びました。音楽に関して言えば、あの曲を聴くだけでノスタルジアというものを彷彿とさせますね。この作品のテーマの一つである過去と現在が共にあるということを表現できる。音楽が流れるだけで現在の私たちの生活の中に過去が流れこんで来ます。『夜来香』が持っている雰囲気がこの作品にとても重要だと思いました」

気遣うリチャードにジュンはソリが合わないと感じている (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
--ジュンとリチャードが世代の違いや言葉、風俗、メンタリティの違いから本音の部分で対立して、それが和解に向かう素晴らしいシーンがあります。そこを工夫した点はありますか。
「この映画のテーマにはコミュニケーションがあります。母親はリチャードを知らないので彼のことを疑っている。でも文化、言葉、世代も違う2人の関係が少しずつ変わっていく。2人には共通点がある。2人とも同一の人を愛していたわけです。愛し方は全く違うけれども、愛していたという思いの強さは同じです。そこに少しずつ母親が気づきます。例えばリチャードの家を母親が訪ねたとき、リチャードはベーコンを箸で料理している。「お箸じゃなきゃできないよ」と言いながらやっている姿を見て、きっと母親は思ったんじゃないでしょうか。この人は自分の息子を愛していただけではなく、私たちの文化である箸を使っている、そういう文化までも自分の中に取り入れたんだなと。そこに言葉を超えてグッと引き寄せ合う関係が成立することを表現したかった。この作品をそこに到達させたかった。それが意図と言えば意図じゃないでしょうか」
--ロケ現場で演出をするときにチェン・ペイペイには中国語で話しかけたと聞きましたけれども、それは彼女への敬意ということなんでしょうか。

ダンスを踊るリチャードと通訳のヴァン(ナオミ・クリスティ=左) (c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014
「彼女にリスペクトがないというわけではないですが、彼女は英語を理解することはできるし、ある程度は話すこともできます。でも、やっぱりちょっとブロークンなので自分が演出をするのにずっと英語で言えば中には理解できないこともあるかもしれない、それなら自分が広東語で話した方が彼女とのコミュニケーションもうまくいくと考え広東語で話しました。同時に今回は私の初長編作品で、自分が監督として相当ナーバスになっていたので、自分が演出するところを他の人に聞かれたくないなというのもあって(笑)。マンダリン(北京語)を出来る人はいますけど、広東語は誰もわからないので、チェン・ペイペイに言ってることっていうのは彼女にしか分からない。そういう安心感もあって広東語で演出していました(笑)」
演出にリズムがあり、情感も豊か。しかもキャスティングが素晴らしく、文化、言葉、世代を超えたコミュニケーションを考えさせるホン・カウ監督のファンになってしまった。
「追憶と、踊りながら」は5月23日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開【紀平重成】