第545回「ダライ・ラマ14世」
数あるダライ・ラマの映像の中でも、本作に登場する法王ほど日常のくつろいだ姿をありのままに見せているものは少ないであろう。しかも日本の街角で集められた法王への様々な質問に真剣かつ当意即妙の回答をする姿が散りばめられているのだから、お宝中のお宝と言っても過言ではない。しかし、この作品の本当の価値は、1959年の亡命から56年を経て、今なお非暴力を貫き平和メッセージで世界の人々を勇気づけるダライ・ラマ14世の姿をヴィヴィッドに描いているところだ。
この素晴らしい記録映像を構成、編集したのは光石富士朗監督。しかし作品が完成するまでには、一つの本が書けるぐらいのドラマがあった。それこそダライ・ラマの長く困難な歩みのように。
きっかけは1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマの撮影を希望する写真家の薄井大還のもとに91年、撮影許可の連絡が入ったことから。当初は謁見の間で25分だけ撮影の約束だったが、撮影中に「中国をどう思われますか」と投げた大還の言葉に、法王は「中国を恨む心を恨む」と即答。感動して握手を求めると法王は大きく手を広げてハグをしてくれたという。心が通い合った一瞬だ。撮影は4時間に及んだ。
それ以降は、大還の息子でムービー撮影担当の一議をはじめ様々な人が撮影や制作に関わり、何度もロケをして実に22年後の2014年に完成した。
ダライ・ラマの名前は知っていても、メガネを外して、お茶を飲み、くつろいでいる様子や、茶目っ気たっぷりに応答し動き回る普段の姿は珍しく、公的な場所で発言する映像からはうかがい知れない温かい人柄がにじみ出る。
映像の合間に語られる言葉はどれも力強く、また貴重だ。
チベットの国旗を広げる男性に向けて「いけませんよ、禁止行為です。これであなたも立派な分離主義者の一員です」とジョークを飛ばし、中国軍のチベット侵攻から10年後の59年に北京で毛沢東主席から「チベット人民は国旗は持っているのか?」と聞かれたエピソードを紹介する。「『はい』と答えたところ、毛主席は了承したのです。チベットの国旗をです。『中国の国旗と共にチベットの国旗を持ち続けなさい』。つまりその時から許可が出ているので違法ではない」
一方、「暴力的に強い男に憧れていました。10年ほど前に刑務所でダライ・ラマ自伝を読みました。あなたの暴力のない強さとは」という質問にはこう答える。「暴力では表面的な解決しかできません。そんな勝ち方をしても心はよけい傷つきます。非暴力のもと心からの対話により、お互いを深く理解することができるのです。心から受け入れることができるのです。これこそ暴力の無い強さが確実な和解なのです」
いま世界では力づくで「平和」を実現させようという動きが目立つ。盛んに唱えられている「積極的平和主義」も武力を前提にしている限り、同じ発想のものと言わざるを得ない。それとは対照的にひたすら非暴力を貫き対話で平和に導こういうダライ・ラマ14世の言葉と姿勢が心を打つ。復讐の連鎖、恐怖の裏返しである軍備拡張のシーソーゲームの先に、一時的に「平和」はあっても、心から平和を感じることはないであろう。
思わず落涙したのは成田空港でチベットからの留学生に法王が声をかけたシーンだ。
「仏教は我々の文化でありチベット人の誇りです。常にチベット人としての自覚を持ってください。難民だからといって、自分を卑下する必要はありません。誇りを持ちましょう。(中略)何人かの悪い人を除きチベット人はその性格ゆえ、世界から愛され、信頼されています。世界が持つチベット民族の良いイメージを後世まで残していきましょう」
映像はチベット亡命政府があるインドのダラムサラや、「五体投地」などチベットの伝統と風習が受け継がれているラダックの様子も描かれ、法王の精神的背景にも目が注がれる。ダラムサラのチベット子ども村では、子ども達がチベット語だけでなく、英語、ヒンディー語、そして中国語まで学んでいる様子や、インタビューに「あるもので満足しています」と貧しいながら元気に学ぶ姿をカメラは捉える。先進国の物質的には豊かな社会の物差しでは分からない精神文化の豊かさと強さを考えざるを得ない。
豊かな国の一つである日本の若者からの「僕たちは日本人として世界平和実現のためにいったい何ができるでしょうか」という問いかけにダライ・ラマ14世はこう答える。
「日本は科学的にも技術的にも高い水準にあります。しかし心の充足を得られている人々は少なく感じます。多くのストレスを抱え孤独で時には自殺をしてしまう。英語を話すことが必要です。現実的には英語は国際語です。英語を覚えもっと世界に出てください
「ダライ・ラマ14世」は5月30日よりユーロ・スペースほか全国順次公開【紀平重成】
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「ダライ・ラマ14世」の公式サイト
http://www.d14.jp/