第549回「ルック・オブ・サイレンス」

無料の視力検査をするからと相手の警戒心を解き、兄殺しの加害者に近づく (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
扇動されて、あるいは自ら勝手な理屈をつけて、50年前のインドネシアで100万人とも言われる同胞を虐殺した「9・30事件」。被害者家族の一人が加害者たちに会いに行き、殺した理由を尋ね、謝罪を求めるという前代未聞のドキュメンタリーは、緊迫したやり取りから目が離せない。浮かび上がるのは自ら犯した殺人に何の罪悪感も感じないどころか、命令されただけと言い逃れる無責任な手法の数々だ。いまも世界で繰り返される残虐行為の、人を暴力へと突き動かしていく人間心理の闇が明らかにされる。

アディ(左)の追及に、「上官の命令に従っただけ」と答える司令官 (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
ご存知の方も多いと思うが、この作品は世界を驚かせた「アクト・オブ・キリング」(2012年)と同じジョシュア・オッペンハイマー監督による姉妹作品。前作が加害者側の心理に寄り添って、心の内に魔が差していく過程を赤裸々に描いていったのに対し、本作では加害者と被害者側を対峙させ、自身の行為を正当化し続ける加害者側の執念と、そんな彼らが支配する同じ村に住み続け、虐殺の再現を恐れ今なお沈黙を強いられている被害者側の理不尽な境遇が鮮やかに対比される。

アディは兄を殺した加害者に会いに行っていると母に告げる (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
なぜそんな虐殺が起きたのか背景を説明しないと理解しにくいことだろう。
1965年9月30日にインドネシアで起きたクーデター未遂事件は、その日付をとって「9・30事件」と呼ばれる。事態の収拾にあたったスハルト少将らが「背後で事件を操っていたのは共産党」と非難したことから、国内各地で共産党員や支持者の虐殺が始まった。軍は前面には出ず、右派勢力やイスラム勢力、ならず者集団などの民間人を扇動し、武器を与え訓練まで施し殺人に手を貸したと言われる。共産党に理解のあったスカルノ大統領は失脚を余儀なくされ、空いた大統領の席にスハルト少将自らが座り、長期政権を築くことになる。

オッペンハイマー監督の撮った映像を何度も見続けるアディ (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
クーデターを機会に一部将校が権力を掌握し、抵抗する国民を弾圧していくのはアジアと言わず世界各地で見られる現象だ。その際に根拠のないデマが流されることも。
事件で兄を殺され、その後、生まれたのが、この作品の先導役を務めるアディだ。老いた母は、加害者たちが今も同じ村の権力者として暮らしているため、50年もの間、亡くなった我が子への想いを心の奥に封印し、アディにもあまり語ろうとはしなかった。しかし2003年にアディは、オッペンハイマー監督が撮った加害者たちへのインタビュー映像に衝撃を受ける。彼らが兄を殺した様子を身振りも交え得意げに語っていたからである。
「殺された兄や、今もおびえながら暮らす母のため、彼らに罪を認めさせなければ」。熟慮の末、アディは、12年に再会した監督に自ら加害者に会うことを提案。監督は今も権力を保持する加害者たちに被害者家族が身分を明かして会うことは危険だと反対したものの、眼鏡技師のアディが「無料の視力検査」で相手の警戒心を和らげながら話し始めるというアイデアには賛成し、次々と犯罪の核心を暴き出していく。

兄を殺した様子を絵入りの本で説明する加害者(右側の2人) (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014
殺人部隊「コマンド・アクシ」の司令官は毎晩送られてくる“共産主義者”のリストにサインし、結果的に600人の命を奪った。「(反共という)国際的な問題を解決したんだ。褒美にアメリカ旅行くらい欲しいね」と豪語していた彼は、罪を問うアディに「上官からの命令に従っただけ」と硬い表情で答える。
兄を直接殺害した2人組のうちの1人は「コマンド・アクシ」に所属するイスラム教徒で「共産主義者はスワッピングしている」と根拠の無い噂を信じていた。アディには「イスラム教では人殺しは許されないが、自分の敵なら殺していい」と答え、自身を正当化する。
アディは叔父にも会いに行く。彼は共産主義者収容所の看守で、そこに兄がいることを承知していた。結果的に見殺しにしたことをなじるアディに叔父は「私は誰も殺してない。見張りをしていただけだ」と言い逃れる。
他にも今は政治家になった者や、加害者の娘、遺族らが次々に登場するが、自己を正当化し雄弁に語っていた彼らが追及を前に顔をこわばらせ、席を立ち、撮影を中断させようとする。お詫びの言葉は発せられずとも、自身、あるいは親の行為への深い“後悔”が顔に浮かび上がるのをカメラは冷静にとらえていく。
もちろん、過去の話をいまさら明るみに出すなと反対する声もある。中には急に親密さをアディに示し追及を逃れようとする人もいる。しかし、宗教的対立や価値観の相違など様々な理由から新たな暴力が生まれている現代社会において、虐殺という過去の歴史や背景、いまなお癒やすことができない心の傷の大きさ等は多くのことを我々に伝えようとしている。過去に目をつむることはできない。
「ルック・オブ・サイレンス」は7月4日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「ルック・オブ・サイレンス」の公式サイト
http://www.los-movie.com