第550回「アリスのままで」
ジュリアン・ムーアが若年性認知症を患った大学教授を熱演し、アカデミー賞主演女優賞に輝いた話題作。
一般に映画評で作品を褒めることはそれほど難しくはないと思うが、マイナス評価を下すのは結構シンドイ。とりわけ本作の場合には……。というのも、新聞をはじめ各メディアがこぞって彼女の演技を絶賛している中で、あえてアラ探しをするかのように厳しい評価をしようというのだから、かなり勇気がいるのである。
ここで白状すると、ジュリアン・ムーアの演技はもう完ぺき。それは否定できない。アリスは言語学の研究者として実績を上げ、なおかつ夫婦円満。さらに3人の子供を育て上げ、社会的には申し分のない人生を送っているその最中に突然訪れた暗い影。次第に記憶が失われていく中で、まだ判断力のあるうちに自らの尊厳を保とうと極めて重い選択もする。激しい葛藤に苦しんだり、それでも前を見つめようとしたりという揺れる心を表現した彼女の入魂の演技は、もうそれだけでも見る価値はあるだろう。
でも声を大にして言いたいのは、この映画、暗すぎるのだ。しかも病状の進行がどう見ても速すぎる。この作品を見た認知症の専門医に聞いたところ、「実際より10倍は速い」という見立てだった。
映画は社会を告発する社会派の作品もあればドキュメンタリー作品もある。多様な表現が許されるメディアであるが、主流はハリウッドに代表されるエンターテインメント作品だ。観客の感情を高ぶらせるために劇的効果を狙って事実の中に多少の“脚色”を交えることはあるだろう。でも、いくら娯楽作品とはいえ、認知症は今注目されている病気の一つだ。家族の介護に疲れている人や、自身の認知症を疑い、あるいは進行を恐れている人も多いのである。可能な限り医学的な背景を押さえておかないと、作品を見て誤解し、だから認知症は怖いといたずらに悲観する人がいないとも限らないのである。
もう一つ違和感があったのは、アレック・ボールドウィン演じる夫が、妻の病気の進行を知りながら自分の仕事の都合で引っ越しを提案したことだ。認知症の人にとって一番避けたいのは環境の変化。アリスを苦しめること必至のこの提案はいただけない。
認知症は当人だけでなく家族を苦しめることもあるが、逆に家族の成長を促すというメリットもある。この作品でも末っ子を演じるクリステン・スチュワートがそんな一面をのぞかせていたが、もっと明確に打ち出しても良かったのではないか。
認知症の人が出てくる作品は増えている。医学監修をきちんと依頼した作品は医学的にも正しい理解を進めることができるし、中には感動的な作品も少なくない。順天堂大学大学院の新井平伊教授が医学監修した「ペコロスの母に会いに行く」(森崎東監督)や「毎日がアルツハイマー」「毎日がアルツハイマー2」(関口祐加監督)は認知症を否定的にはとらえず、介護を通じて家族が変わっていく様子を温かく見守る。何より認知症の人の笑顔が印象的だ。
認知症には「多幸症」という別名がある。それは、本人や周囲の考え方次第で幸せに暮らすことはできるという発想が込められている。認知症の正しい理解とともに、人生を肯定的にとらえる考え方から大いに学ぶところはあるように思う。
ジュリアン・ムーアの演技は素晴らしかった。彼女の演技を通じて認知症を否定的にとらえるのではなく、認知症を理解する第一歩にして欲しい。そして信頼できる専門医による医学監修が入った“泣いて笑って”という感動作品も是非味わっていただきたい。
「アリスのままで」は6月27日より新宿ピカデリーほか全国公開【紀平重成】
【関連リンク】
「アリスのままで」の公式サイト
http://alice-movie.com/
「ペコロスの母に会いに行く」の公式サイト
http://pecoross.jp/
「毎日がアルツハイマー」「毎日がアルツハイマー2」の公式サイト
http://www.maiaru.com/
公益財団法人認知症予防財団の公式サイト
http://www.mainichi.co.jp/ninchishou/