第551回「共犯」
甘酸っぱく妙に懐かしい台湾青春映画にまた新しい秀作が仲間入りした。視覚障害の天才ピアニストをさわやかに描いたチャン・ロンジー監督が、一転して若者のいじめや孤独
、誤解から生まれる事件を描いた学園ミステリー。ソーシャルネットワークがもたらす無責任な情報に若者が振り回される現代の暗部を浮かび上がらせつつ、かすかな希望も明示している。
高校生のホアン(ウー・チエンホー)、イエ(チェン・カイユアン)、リン(トン・ユィカイ)は、通学途中に通りかかったマンション脇の路地で、同じ学校に通う女生徒シャー(ヤオ・アイニン)が変死しているのを見つける。それまで口をきいたこともなかった3人だが、警察の調書作りや学校のカウンセリングに一緒に応じるうちに仲良くなっていく。シャーは自殺なのか、その理由は? そこに同級生からいじめられていたという情報が浮上する。シャーの日記に手がかりがあると考えた3人は、死の真相を知りたくて日記を探しに彼女の部屋へ忍び込む。
3人による犯人捜しは、やがて“被疑者”を懲らしめるという、いささか度を越したものになる。もはや理性より感情。彼らの熱気を増幅させたのはソーシャルネットワークだ
った。確かめることもなくデマが次々に拡散していき、仕掛ける側にいる間は手応え十分で面白いが、いざ攻撃される側に回ってしまうと恐ろしい存在となる。その暗転はある悲
劇によって現実のものとなる。
3人がシャーの葬式に行った際、彼女の母親(リー・リエ)に「皆、彼女が大好きで、大切な友達でした」とホアンがうそをつく。「作り話がうまいな」と驚くリンに、「うそ
も、皆が信じれば本当になる」とホアンは答える。見方を変えれば、うそでさえ数の力を得て真実となるなら、ひとたび疑われたら事の真偽に関係なく事実とされてしまうソーシ
ャルネットワークの恐さを言い当てていると言えるだろう。犯人捜しで攻め込んでいたはずの彼らは、やがて攻守所を変え逃げ惑うことになる。
ソーシャルネットワークも一方的に悪いばかりではない。孤独に悩む人たちにとって自分の思いを聞いてくれる見知らぬ誰かとつながることが可能なメディアでもあるからだ。
面と向かっては言えないことも言えることがある。そんなツールが多くの若者を引き付ける。もろ刃の剣の例えのように、人とつながりやすくなったプラス面と、牙をむけるマイナス面の両面があることを巧みに取り入れた脚本が効いている。
本作にはシナリオの原作がある。監督はそれに手を加え、ソーシャルネットワーク社会のダイナミズムと危険性をリアルに映像化する一方、暗くなりがちな後半の展開に工夫を凝らしたという。
そんな監督のこだわりはタイトルの付け方にもよく現れていると思う。「共犯」というタイトルは「共犯者」でも良かったと思うが、そうすると、誰が?という風に対象者を特定する意味合いが強くなる。それに対し「共犯」は加害者の及ぶ範囲よりも行為そのものに焦点が当てられる。結果として誰が共犯者なのかという謎解きの面白さは残しつつ、共犯が生まれる構造そのものにメスを入れることになる。高校のカウンセラーが3人に極めて事務的な型通りの対応で、結果的に悲劇を生む遠因になった可能性のあることを示唆していると言えよう。
日本でもいじめは繰り返されており、そのたびに「なぜ有効な手だてが取られなかったのか」という声が寄せられる。国は違っても抱える病状は同じだけに、そんな社会への問いかけは共感を得るだろう。
亡くなったシャーの母親を演じたリー・リエは「Orzボーイズ!」「モンガに散る」をヒットさせるなど近年プロデューサーとして大活躍しているが、チャン・ロンジー監督の作品には「光にふれる」に続き連続出演していて、いまや同監督のミューズ的な存在。いつか彼女の主演作品を監督に撮っていただきたいものである。
2014年・第27回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門上映作品。
「共犯」は7月25日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】
「共犯」の公式サイト
http://www.u-picc.com/kyouhan/