第556回「首相官邸の前で」
歴史社会学者の小熊英二慶大教授がペンをカメラに持ち替え、福島原発事故以降の反原発デモを記録する映画を撮った。専門の文字よりも映像の力に期待したのは、メキシコの大学で講義した際に反原発デモが社会運動として広がっていくネットの映像に予想以上の反応があったことから。
自分でもできるのではないか、いや自分でやった方が早い。そう思った小熊監督は帰国して間もない昨春、首相官邸前で抗議活動をしている知り合いの主催者に映画化を相談すると、協力してもらえることになり、撮影できる人を紹介された。そのカメラマン石崎俊一さんと会って30分。「映画を作ろうじゃないか。監督と出資は俺で、撮影と編集は君だ」。映画の作り方を知らなくても、撮ると決めた際の決断は速かった。
早速作業に入り、使えそうな映像をネットから探し出し、5時間分を1時間に削り込んで、映像の制作者から無償提供の了解を得ると共にインタビュー。何度も編集し直して絞り込まれた映像は国籍も仕事も年齢も異なる8人がなぜ首相官邸前に集い、今何を考えているかを余すところなく描いている。小さな規模だったデモも万余の規模に膨れ上がり、2012年8月22日には各グループからなる首都圏反原発連合のメンバーによる野田首相(当時)との面談まで実現させている。その熱気と規模は現在の安保法制デモに間違いなく引き継がれているだろう。
さらに、その市民運動は日本だけでなく、その後の香港「雨傘革命」や台湾の「ひまわり学生運動」とどこかで呼応しているだろう。映画に登場する人々の次のような声はどの地域の人とも共通する思いのはずだ。「あんな原発事故があったのに、誰も抗議もしない国ということになっちゃうのかなと思って」「私がどうして運動家になってしまったのかという反応もありました。もともとそんなタイプじゃなかったので」。ごく普通の市民が声を挙げないではいられない事態が起きた時、人は立ち上がり、ネットが情報を拡散し運動を支えていく。
異業種から乗り込んだ小熊監督の手法や考え方には感心させられることが多い。文字による記録が専門なのに、映像の力に素直に反応したこと。音楽バンド経験があり、スタッフの人数を増やすと面倒なことが増え、スピード感も落ちるからとスタッフ2名で行くと決めたこと。出資者を募ってお金がたまるのを待つより自分が出してスピードを心掛けただけでなく、「自力でここまでやった」という姿勢を示すことでかえって協力を得られたこと。20年後には原発事故の経緯を知らない人が増えることを予測し、現在の日本から離れた人の視点で編集するという俯瞰の目を大事にしたこと。外国人にも積極的に映像を見てもらい、感情や意見を表に出さない日本人のイメージが変わったという感想を得たこと……。
反原発運動は九州電力の川内原発1号機が再稼働したことで、首相との面談を実現させた3年前の12年8月より熱気が失われたようにも見える。しかし各種の世論調査を見れば原発再稼働に「反対」の回答は過半数を超えている。なりふり構わず原発依存社会に戻そうとする政府の姿勢を冷ややかに見る目にゆるぎはない。
映像では若者をはじめ多くの人が互いに力をもらい合うなど原発事故で変わっていく姿を見ることができる。運動が彼らを鍛えたとも言えるだろう。組織の指図で動員されることもあったかつてのデモとは異なり、一人一人が自分の意思で声を挙げるその姿は今国会前で繰り広げられる人々と見事に重なる。小熊監督はそれを「希望の瞬間」と呼んでいる。
「首相官邸の前で」は9月2日より隔週水曜日、渋谷アップリンクにて公開【紀平重成】
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「首相官邸の前で」の公式サイト
http://www.uplink.co.jp/kanteimae/