第562回「日本と原発 4年後」
さまざまな脱原発訴訟の弁護団長として知られる河合弘之弁護士が、昨年の「日本と原発 私たちは原発で幸せですか?」に続いて監督を務めたドキュメンタリー。「なぜ弁護士が映画を撮らなければならなかったのか」。この問いへの回答を待つまでもなく、原発推進派の論理の破たんを見つけ出し一つ一つ突き崩していく展開は、弁護士でなければ作れなかったであろうメリハリの良さと力強さに満ちており、脱原発派には頼もしい道しるべとなりそうだ。
映画はいきなり同じ時間帯の東京と福島県双葉郡浪江町の放射線量を映し出す。東京は0.0319マイクロシーベルトなのに対し、常磐自動車道に表示される放射線量標識は100倍以上の5.0マイクロシーベルト。福島第一原発事故から4年もたったのに、事故の影響が大きく残っていることを伝える。
登場人物は多彩だ。事故直後にはまだ瓦礫の下でうめき声や何かを打ちつけて助けを求める音が聞こえていたのに、原発事故で避難指示が出されたため助けに戻れなかったことを悔やむ消防団員が映し出される。原発事故さえなければもっとたくさんの命を助けることができたと考えれば、これは原発事故による間接的な死者と言えるかもしれない。
事故当時の原子力委員会の近藤駿介委員長は(放射能汚染の広がり方によっては)「国家壊滅の危機にあった」と振り返り、「原発は安全と信じてもらっていたのに、それを裏切ったことになり申し訳ない」と語る。
原発を巡る争点を理解をしやすくするため、監督は自ら講師を務める“お勉強コーナー”を映画の中に用意する。たとえば推進派が主張する「夢のエネルギー構想」について、高速増殖炉「もんじゅ」が失敗したとされているのに、なお政府が事業を継続するのは、核兵器開発能力が潜在的にあることを他国にアピールするという裏の理由があると解説する。さらにエネルギーの安定供給上必要だという根拠が原発事故よって崩れ始めると、本来なら隠しておくべき裏の理由を「自民党や読売新聞があからさまに言い始めている」と皮肉っている。
一方、「原発における“科学・技術進歩”を問う」と題した原発擁護論については、自動車や航空機と同様、科学技術の進歩により事故の確率は軽減されていくという推進側の主張に対し、車や飛行機による事故は「個の死」をもたらすが、原発は被害が過大で人類滅亡という「種の死」の恐れがあるので比較にならないと反論。しかも放射能によって事故の検証ができないため、事故を防ぐための改善方法も見つけることができないと論破する。
こうして原発の仕組みから歴史、それを支え合う“原子力ムラ”と呼ばれる利権構造、自殺者が絶えない原発災害の悲惨さを、脱原発を訴える有識者から原子力推進の専門家まで取材し事故からの4年後を浮き彫りにしている。
今も避難生活を送らざるを得ない多くの人がいて、脱原発に向けての映画作りに終わりは見えないが、「今だからこそ、何かできないか」という思いは国会前のデモをはじめ各地に広がっている。高浜原発の再稼働差し止め仮処分申請や東電元役員の事故責任を問う強制起訴等の裁判闘争もその一つで、3.11以降は原告勝訴の動きが出始めている。
映画のラストでは全国すべての原発の今の姿が次々と映し出される。人口の密集した都会とは対照的に過疎の美しい海に面したところが選ばれている。人影はほとんど見えず、そこに不自然なものを感じるのは気のせいだろうか。
エンドロールの最後に河合監督のメッセージが映し出される。「原発事故は国民生活を根底から覆す。経済も文化も芸術も教育も司法も福祉もつましい生活もぜいたくな暮らしも何もかもすべてだ。したがって、原発の危険性に目をつぶってのすべての営みは、砂上の楼閣とも言えるし無責任とも言える。そのことに国民は気が付いてしまった。問題は、そこでどういう行動をとるかだと思う」
「日本と原発 4年後」は10月10日よりユーロスペースにて公開【紀平重成】
【関連リンク】
「日本と原発 4年後」の公式サイト
http://www.nihontogenpatsu.com/news/4yearslater.html