第564回「復讐の町」
インドと言えばマハトマ・ガンジーが非暴力を唱えイギリスからの独立運動を通じそれを実践した国である。その考えを理想として高く掲げることはできても実践することは簡
単ではない。本作はそんな現実を赤裸々に描いたとも言える怖いお話だ。
2人組の銀行強盗が発車寸前の車に駆け込み、若い母親と幼い息子を脅し逃走。誤って子供が外に投げ出されたため狂乱状態の母親を運転していた男が短銃で撃つ。リヤーク(
ナワーズッディーン・シッディーキー)という凶暴な運転手役の男は相棒(ヴィナイ・パータク)を逃して自分は捕まり、刑事には「頼まれて運転していただけで何も知らない」
と弁明する。母子は死亡し、リヤークは20年の実刑判決を受け刑務所に収監される。
妻子を一度に失ったラグー(ヴァルン・ダワン)は復讐の念に燃え、リヤークの馴染みの娼婦(フマー・クレイシー)を探し出して暴行する。それから15年。リヤークが末期
がんになった時、彼の釈放に反対していたラグーは、受刑者の矯正活動に取り組む女性(ディヴィヤー・ダッター)の意見を受け入れ釈放に同意する。心変わりしたラグーの真意
は?
その女性と娼婦、リヤークの母親の3人はどう動く? そして行方を隠したリヤークの相棒はどこで何をしているのか?
美しい女性が次々に現れ、また予断を許さない展開に、最後まで息をつくひまがない。
監督は「エージェント・ヴィノット」のスリーラーム・ラーガヴァン。感心するのは血なまぐさい事件が起き、夫が復讐心を募らせていくのを悲しむかのように、非暴力主義を
体現したマハトマ・ガンジーの像やその名を冠した通りの標識をカメラは映し出す。監督は非暴力などあり得ないと言いたいのか、それとも悲しい現実を見る者に突き付けている
のだろうか。いずれにしてもガンジーの主張とは正反対の暴力には暴力をという展開が続くことを予告しているとは言えるだろう。
音楽の使い方もうまい。人生を狂わされていく人々を次々に登場させ、そこに「人生はこんなにも難しい」と高らかに歌い上げる曲が流れる。そのかぶせ方が絶妙なのだ。
「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え! No.1!!」でイケメンの大学生役を演じたヴァルン・ダワンが今作では別人のような形相で凶器を振り上げる。どこにでも
いるよき夫であり父親だった彼の心の中に住み着く悪魔の心と、出獄した後も悪知恵を働かせ改心のそぶりさえ見せないリヤークが最後に放つ逆転劇を導き出した心との鮮やかな
対比は、簡単には善悪を決めつけられない人間の業の不思議さをあぶり出し見事である。
まるで「善人なおもて往生を遂ぐいわんや悪人をや」という親鸞の悪人正機説を思い起こさせるエピソードがさりげなく挿入されているので、注意して見ないと大事なメッセー
ジを見失うことになる。インド映画の魅力であり鑑賞に際しての注意点なのかもしれない。血しぶきが飛ぶだけのハラハラドキドキのサスペンスアクションではない。
今週末には話題作「マルガリータで乾杯を!」も公開される。インド映画の奥深さをこの機会にぜひ堪能していただきたい。
「復讐の町」など13本上映の「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン2015」は東京会場がヒューマントラストシネマ渋谷で23日まで、大阪会場がシネヌ
ーヴォで22日まで開催。【紀平重成】
【関連リンク】
「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン2015」の公式サイト
http://indianfilmfestivaljapan.com/index.php
「マルガリータで乾杯を!」をご紹介する「キネマ随想」のサイト
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/kinemazuiso81/