第566回 特集上映「はしっこでも世界。」
小さな映画配給会社が真珠のように輝く世界の傑作を送り続けて15年。そのムヴィオラが節目の年に組んだビッグな贈り物が特集上映「はしっこでも世界。」だ。「映画のおかげで、小さな会社が、とてつもなく大きく豊かな世界に出会えてきた。雲南省でもペルーでもテヘランでも。はしっこにいても、世界に触れることができる。そうして、映画は窓になり、同時に鏡になっていく」と企画の意図を語る。この心意気を映画を愛する世界のすべての人々に送り届けたい。
筆者は特集上映のうち約半数の16本程度の鑑賞経験しかないが、幸い監督インタビュー・会見は数回おこなっている。振り返ってみるとそのインタビュー内容はなるほど今回のお題目である「はしっこでも世界。」を彷彿とさせるものばかりであることに気付かされる。そのさわりを取材メモからピックアップする。
日本での公開作品が多いだけあって、ワン・ビン監督の取材は3回と最多。2013年4月13日の共同会見では次のようなやり取りがあった。
●ワン・ビン監督(13年4月13日取材)「三姉妹~雲南の子」
--質問者 一番初めにこの三姉妹に会った時にどこに惹かれたのでしょうか。また、これまで映画を撮るときにどんな思いで撮っているか教えてください。
監督「彼女たちの家の前を車で通りかかった時、3人の子どもは泥まみれになって遊んでいました。ほとんど村人の姿は見かけず、がらんとしていました。この3人の子どもが寂しい村の中でとても際立った存在に見えたのです。家に案内してもらい家族の話を聞くうちに分かったのは、お母さんは3年前に家を出て、お父さんも出稼ぎでいない。そして彼女たちの面倒を見る大人がいないので、子ども3人だけで暮らしているということでした。さらに家に入って驚かされました。一番上のインインは妹たちの世話をまるで母親のようにしていました。また私の想像をはるかに超える貧しさでした。でも姉のインインは私たちにジャガイモを煮て一緒に食べました。その貧しさに私は本当に心が痛く、辛かったですが、強烈な印象として残りました。しかし貧しさの中でも、彼女たちはお互いに寄り添って生きているということ、その強さが私の心を打ちました。
2つ目のご質問は、どういう気持ちで撮りに行くのか、でしたね。毎回人に出会うとその人を撮りたいという欲望が湧いてきます。例えば『鳳鳴(フォンミン)中国の記憶』の時は、フォンミンさんはもうかなりのおばあちゃんですが、彼女が経験してきた(反右派闘争や文化大革命など政治的混乱時代を乗り越えてきた)人生というのは我々の想像を超える壮絶なものがあったわけです。その時代を理解したいと私は思いました。そしてこの三姉妹についても、彼女たちは本当に貧しい生活環境に置かれていて、これからどうやって生きていくのか、それを理解したいと思ったのです。子どもですから非常に生命力にあふれていました。貧しさに負けないぐらいの生命力の旺盛さ。これは人間が本来持つ素晴らしい力です。そこを撮りたいと思いました」
--質問者 監督は今北京にお住まいなんですが、今一番個人的に興味を持っている人、こと、ものを何か1つ教えてください。それを映像化する予定は?
監督「今自分が最も興味を持っているのは長江一帯の地域です。私自身は黄河流域の村に育ったのですが、長江一帯については、あまり理解していませんでした。この地域を舞台に何本か作品を撮るつもりです。なぜかというと、中国経済は急速に発展していますが、その発展を担っているのが長江のデルタ地域だからです。上海が一番東、そこから遡って西の方に行く。そして長江の上流域にあるのが今回撮った三姉妹の村です。映画を撮ることを通して今日の中国社会のあまり知られていなかったところを理解したいと思っています。今その農村の労働力は大量に都市へと流れこんでいます。東の方では上海、南の広東省では珠江デルタ。そういった人の流れの変化とか、それによって起きる現代社会の人々の生活の変化をドキュメンタリーを通して理解したいと思っています。黄河流域を舞台にした映画は中国の第五世代の監督のチャン・イーモウやチェン・カイコーがたくさん撮っています。ところが長江流域に目を移すと、小説や映像作品でもそんなに紹介されていないので、この地域を紹介したいと思っています」
●ワン・ビン監督(14年2月25日取材)「収容病棟」
--筆者 監督は虐げられている人を好んで撮っているように思いますけど、それはなぜですか。
監督「私は普通の生活というものにとても関心があるだけです。多くのマスコミはあまりそういう社会の虐げられた人たちに目を向けません。本当にごく少ししか関心を持っていません。私は逆にそういうところに惹かれる。普通の人々を撮りたいという考えが基本的にありますから、普通の人の生活に興味が行くわけです」
--筆者 もっと楽しい、おもしろい映画を撮れという圧力はないんですか。周りというか、国というか、当局からですね。
監督「自分としてはこういう映画を撮っていることはとても楽しいです。私が撮る人物というのはどの人もとてもおもしろい。私にとってはそう感じられる。非常に人と人との関係、人間同士に通い合う愛が感じられます。この人たちの、人が人として求める愛はすごく微妙ではあるけれども、かえってすごく美しいものだと自分には感じられます。むしろこの病院(雲南省の精神病院)にいる人たちの方が人間関係がすごくシンプルで、おそらく外にいる人たちよりも人間の本来の姿というものをとてもリアルに素朴に表現していると思います。いわゆる『正常な人』、この病院の外にいるような人というのは、人と人との関係を作るときに、例えばとても商業的であったりとか、利己的であったり、偏見に満ちていたり、人に対して全く憐憫の情もなく、同情を寄せることなく他人に対することがあります。むしろここにいる人たちの方が人間らしさがあるように感じました」
●ツァイ・ミンリャン監督(14年6月17日取材)「郊遊〈ピクニック〉」
--筆者 生活費を稼ぐために「人間立て看板」として立ち続ける李小康(リー・シャオカン)演じる男が「満江紅(マンジャンホン)」を歌うシーンが印象的でした。40歳以
上の世代なら誰でも知っているといいますが、これを歌わせようと思う特別な意図があったのでしょうか。
監督「あのシーンは(台湾のアカデミー賞といわれる)金馬奨のときにアン・リー監督が評価し、非常に重要なシーンでとても良かったと言ってくれて、うれしかったですね。このシーンでリー・カンションがマンジャンホンを歌うということは、台湾人の胸の奥に秘めている鬱屈したものをバーっと表現したものだと思います。特に台湾の中年以上の人たちの気持ちを代弁しているような歌、それがマンジャンホンですね。
この詞を作った人は宋の時代の愛国的な将軍でした。なのに死に追いやられ報われなかった。そういう人の詞をあそこで出すということは、多くの観客に自分の身に重ねあわせて人生を考えさせると思います。いつの時代も同じで大きな希望や抱負を抱いていながら、それを実現できず失望に変わったりするわけです。特に現代社会では、成功したいと思い、またいい家庭を築きたいと思いながらも、それがことごとく報われないこともあります。経済状況が悪くなるとそういう希望が一挙に消えてしまいます。そういうことをこの詞に託している。ですからこの詞を聴くと多くの観客は自分の人生を振り返ることができます。人間立て看板の人を取材に行ったとき、彼らは何かひとりごとをぼそぼそと言っている。念仏を唱えているような人もいた。胸の内の苦悶を表現しているのです。そしてこの場所でどうしてもリー・カンションにあの詞を念じてもらおうと思いました」
●ホン・カウ監督(15年5月17日取材)「追憶と、踊りながら」
--筆者 「夜来香」とか主演のチェン・ペイペイというのは、両方とも中国的なものが強いと思います。ご自分にとって中国的なものが作品にもたらす影響の比重はどの程度のものとお考えでしょうか。またその理由があったら教えてください。
監督「今質問をされて、うん、そういうとらえ方もあるなと思いましたが、ただ音楽のことも、チェン・ペイペイをキャスティングしたことについても、具体的に作品をこういうふうにしたいからという、中国的な比重を考慮してはいません。例えば音楽的な部分は50年代の音楽の雰囲気をというところから映画をスタートさせ、ある種時代劇ではないかと思わせるような、そういう意図があって音楽を選んだわけです。チェン・ペイペイの場合は人物、自分が書いた設定の母親の人物要素をまさに彼女が持っていたのです。比重ということよりも人物自体を考えてチェン・ペイペイを選びました。でもそういう発想もできるなと思いました。特に音楽に関して言えばやはりあの音楽を聴くだけでノスタルジアを彷彿とさせますね。この映画のテーマのひとつである過去と現在が共在するということが表現できる。音楽が流れるだけで現在の私たちの生活の中に過去が流れこんでくる。あの曲が持っている雰囲気がこの作品にとても重要と思って使いました」
--筆者 昔、彼女の主演した「大酔侠」を見て気に入ったとかいうことはなかったんですか?
監督「昔彼女が出ていてヒットした作品からチェン・ペイペイをというふうには思いつかなかったですが、なかなかイギリスではあの年代の女優さんで今回の母親を演じられる人がいないということで、結局香港まで行って。自分が考えた女優さんのリストの中にチェン・ペイペイがいました。でもその時点では『グリーン・デスティニー』でのチェン・ペイペイは素晴らしいと思いましたが、やはりカンフームービーばかりだったので。そのときニュージランドの作品で彼女が割と平凡な母親の役を演じていてそれが良かった。彼女だったらきっとこの作品が素晴らしくなると思って、アプローチしました」
何度見ても新しい発見があり、味わいがある。それが今回の特集上映にリストアップされた作品群だろう。
2005年以降のほぼすべてのムヴィオラ配給作品約30本を集めた特集上映「はしっこでも世界。」は11月7日~20日、東京・新宿K’s cinemaで開催。【紀平重成】
【関連リンク】
特集上映「はしっこでも世界。」の公式サイト
http://moviola15th.tumblr.com/
特集上映「はしっこでも世界。」の予告編
http://moviola15th.tumblr.com/trailer