第573回 「世紀の光」
「ブンミおじさんの森」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が2006年に発表し日本では劇場未公開のままだった作品。10年前の発表だが、「何もかも自由なスタイルで新しい」というのがこの作品の特徴であり魅力ではないか。まるで変幻自在な夢を見ているかのように流れ漂い、ミステリアスで心地よい。これまで3回見る機会があったが、その度に発見があり、思わず笑い、うならされた。未見の方はもちろん、以前ご覧になった方にもお勧めしたい作品だ。
映画は前半と後半の二部構成で、医師が患者とおぼしき2人の男性に問診し、あるいは恋愛話が絡むなど同じエピソードが繰り返される。似たような話なのに少しずつ違う。そのズレた映像の反復がまるで夢を見ているかのように感じられるのだ。
そう思うのは交わされる会話が実際にありそうでよく考えて見ると現実には稀(まれ)だったり、意表を突く話題が散りばめられているからである。
例えば患者の高僧から寝覚めの悪い夢の内容を聞かされている女医が、たまたま窓の外を通りかかった男を追って飛び出し、借金の返済を求める。言い訳をする男に「目をそらして言うのはウソをついているからでしょう」と追及する。
あるいは部屋に戻って問診を再開しようとする女医に高僧は「先生の心の乱れを感じる。おそらくそれは金銭のトラブルでしょう」とズバリ言い当て、さらに「この薬草を飲めば大丈夫」と逆に“診断”してあげるのだ。
映画祭等で上映されたバージョンと字幕を差し替えており、気のせいか会話の内容もリズムもいい。
高僧に付き添った若い僧が歯の治療を受けていると、歯科医が「僧侶を無料にすれば功徳となるだろうか」と聞く。戸惑う僧に歯科医は「私は歌手だよ」と歌いながら治療を進める。世の中、こうだったら平和なのにと思うようなエピソードが次々と披露されていく。
二部構成の前半は緑豊かな田舎の病院が舞台。後半は大都会の近代的な病院で、自然と人工物の対比を見ているようにまるで空気感が異なる。それでも僧侶や医師といえどもごく普通の人間で、お金のことは気になるし恋もするという描き方は共通している。人間を見つめる温かな目線と権威を否定する確かな立ち位置は、全編を貫く通奏低音のように揺るぎがない。
記憶や夢をモチーフにすることの多いアピチャッポン監督は輪廻転生を思わせるエピソードも挿入させる。歯科医が僧侶に「あなたは木から落ちて死んだ弟の生まれ変わりのようだ」と言う。僧侶は「前世は人間ではなかった」と否定するが、歯科医は意に介さない。あの世も前世も簡単に見ることはできそうもないが、もしかしたら、たゆたう心は記憶や夢に姿を変えて人々の前に現れるのだろうか。
お気に入りのシーンを二つ紹介したい。映画の始めの方で問診を終えた女医が上司に呼び出され向かい始めた時、その姿の見えない声の主はどんどん移動していくのにカメラは知らぬ顔でゆっくりズームインし、見るだけで幸せになりそうな窓の外の緑を大きく捉える。遠ざかる女医の世間話を何気なく聴きつつ眼前に迫る光と風の輝く緑の海の奇跡のような美ししさ。
一方、ラスト近くでゆっくりと画面中央にクローズアップされるチューブの大きな吸い取り口。ラッパ状のそれは白い煙を絶えず吸い取る不気味なブラックホールだ。映画が何でもありのお話にあふれているのなら、それをせっせと吸い取るブラックホールはお似合いの装置かもしれない。今までの映像は全部夢だったのですよと。
「世紀の光」は1月9日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。また同館では特集上映「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」が同時開催されるほか、最新作「光りの墓」が3月より公開の予定。【紀平重成】
【関連リンク】
「世紀の光」の公式サイト
http://moviola.jp/api2016/seikino/index.html
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