第582回「湾生回家」

ホァン・ミンチェン(黄銘正)監督(2016年3月5日、大阪市の梅田ブルクで筆者写す)
人がふるさとを思う気持ちは時代や人種を超えて普遍的だ。台湾でドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録した「湾生回家」に出てくる台湾生まれで敗戦後、旧植民地の台湾から日本に強制送還された20万人とも言われる「湾生」たちも思いは同じである。
この作品は、いまや高齢に達した湾生たちが、自分の生まれ育った場所でかつての遊び友達や懐かしい風景に再会し、ここがふるさとだと再確認していく姿を感動的に描いている。大坂アジアン映画祭のオープニング作品として海外初上映された同作品のホァン・ミンチェン(黄銘正)監督に聞いた。
--台湾で若い方が大変よく見てくれたと聞いていますが、それは何故なんでしょうか。
「台湾と日本の人々の間に横たわる感情といった問題は、これまでメディアでは正式に取り上げられて来なかった。こういう感情は双方がずっと持っていたにも関わらず映画になってこなかったので、第二次大戦が終わって70年の時を経た昨年、やっとこういう形にまとめて発表されたわけです。のどがみんな乾いていたところに水を差し出され、乾きを癒やす感じで人気が上がったのだと思います」

「湾生回家」の一場面 (c)Tanazawa Publish Co., Ltd.
--その中で特に若者の姿が目立ったというのは何故でしょうか。
「それは若い人たちも日本文化に興味があるからじゃないでしょうか。たとえば言葉や建物といったものに。台湾では年配の方で日本語を話せる人がいて、映画の中でも日本語が自然に出てきますが、若い人たちは日本に興味を持って日本語を勉強しているので日本語という共通項があります。私の祖父も日本語を話せます。私たちに知られたくないことは日本語で話してましたよ。一方、建物も家の床下に空間があってそこに物が隠せるようになっている。トトロの映画に出てくるようなものですね。それからトイレが外にある。そういったものに小さいころから接していて、日本のものだったということが自分の気持ちの中に積み重ねられているので、若い人も日本の文化にその分親近感を抱いていると思います」

台湾東部の花蓮市で知人宅を探す冨永勝さん (c)Tanazawa Publish Co., Ltd.
--若者でおもしろい感想を直接聞かれたことはありますか?
「若い人たちは感情をすごく自然に出します。描いているものは実際のところは自分たちとは直接関係のない、彼らのおじいさんとかおばあさんのストーリーなんですよね。でも『すごく感動する』と言います」
--映画の中でも若い人が出てきましたね。今は寝たきりになった片山清子さんが岡山に住んでいたという母の墓を代わりに探してほしいと娘や孫に託するシーンです。その娘や孫が彼女の思いをくんで、2度にわたって岡山に足を運びます。清子さんの母親は彼女を養女に出し日本に帰国していました。
「清子さんのケースで描こうとしたのは、母親の千歳さんが自分を捨てたんじゃないかと思っていて、それは憎しみでもあり愛情でもあるという複雑な気持ちです。特に日本と台湾の関係でということではなく、普遍的なテーマとして描きたかったので盛り込みました」

台湾に通ううちに病気が治ったと“ふるさと効果”をあげる家倉多恵子さん (c)Tanazawa Publish Co., Ltd.
--2度目の日本訪問で娘と孫がとうとう墓を見付け枕元で「墓参りしてきたよ」と伝えます。それを聞いた清子さんが、それまではボーっとした顔だったのに、急に目に表情が出て涙を流しました。奇跡的なシーンでした。
「脳はちゃんと働いているんです。体は動かせないけれども。自分が探しに行ったときには見つけられなくて、それを娘たち孫たちが見つけてきてくれたということにすごく気持ちが高揚して涙が出たのでしょう」
--映画に登場する他の湾生たちとはケースが違いますが、そういうシーンを見ているとふるさとや先祖探しといったものはそんなにも大切なものなんだなと感じます。
「そうだと思います」
--映画の中で台湾東部の花蓮市を訪問した湾生たちに市の担当者が自分の出生が記された戸籍謄本を一人一人手渡していましたが、あれは特別な話ですか? どの市でもあるのでしょうか?
「特別にやったことです」
--それでもあれだけ戸籍謄本が残っていることがすごい。
「私もそれは驚きました」
--花蓮も空襲にあったと聞いているので、よく保存されていたなぁと。
「家倉多恵子さんも台北で戸籍謄本を見つけました。すごく不思議なんです。台湾でも空襲で焼けているところが多いと聞いているのに何故きちんと保管されていたのか。それは持ち帰って台湾の戸籍謄本の係の方に聞いてみます」

大阪アジアン映画祭のオープニング上映前に壇上に上がってあいさつする湾生たちとスタッフ(大阪アジアン映画祭提供)
--台湾は古い建物を活用して美術館にしたり文学館にしたりしていますから、古いものを大事にするんですよね。そういうところとつながっているのかなと思いました。
「そうですね。台湾の人は歴史的なものをなるべく保存しようと考えます」
--出てくる人が日本人である湾生も、現地で会ったかつての遊び仲間も、すごくいい人ばかりなんですが、そうではない人は本当にいないのだろうかと思いますけど?
「もちろん悪い感情を持っている人もいます。でも私は映画を撮るときは人の情感を撮るのが大事だと思っています。政治や歴史はその背景にあって、それに起因する憎しみなんかももちろんあるだろうけれども、そのまま描くことはできるだけ避けてきました。映画の中でも家倉多恵子さんが台北の大変優秀な学校に入って、日本人はすんなり入れるけど台湾の人は一生懸命に勉強してやっと入れる。そこにやっぱり不平等な待遇というのはあったわけですが、それはあまり大きくは取り上げなかった。それを全面に出すことはしない。台湾は例えば政治のことを語り合うとすぐ対立してしまうので、すごく仲の良い友だちでも、政治のことは話さない。そういう風に対立することを避けるようにすることはできると思います」
映画では、このほか冨永勝さんら花蓮生まれの高齢者らがそれぞれ里帰りを果たし、級友たちに会う姿が映し出される。あっという間に70年前の仲に戻る。友の死を知らされ嗚咽する姿も。それは相手の心をも溶かし出す“本物の涙”だ。
戦後長らく続いた国民党による一党独裁体制は、湾生たちのふるさとへの思いを頑なに拒み続けていた。しかしどんなに押さえつけてもいつか政治は人々の思いに屈するときがくる。「私の故郷は台湾」。この自然な思いは誰にも否定できないだろう。
「湾生回家」は
秋に岩波ホールほか全国順次公開。【紀平重成】
【関連リンク】
大阪アジアン映画祭の公式サイト
http://www.oaff.jp/2016/ja/