第585回「山河ノスタルジア」

凍てつく黄河のほとりにたたずむ男女3人の思いはぎこちない (C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
そんなに多い訳ではないが、作品のスケールが大きすぎて、一度見ただけでは内容を十分理解できないことがある。実はこの作品も昨年の東京フィルメックスで見た時は、中国の素晴らしさを礼賛する“中華思想的作品”ではないかと誤解してしまった。世界のジャ・ジャンクー監督を前に失礼な話だが、今回改めて見直し、「時間」をテーマに変わるものと変わらないものを対比させて、人間の普遍的な感情を感動的に描いた作品と思い至ったのである。
“誤解”したのには、やむを得ない理由もあったと思う。物語は過去(1999年)、現在(2014年)、未来(2025年)の三つの時を描き、最初のパートは山西省の炭鉱の町、汾陽(フェンヤン)を舞台に、一人の女性をめぐり二人の幼友達が恋のさや当ての末に若き実業家が求婚に成功し、負けた炭鉱労働者が町を去るという三角関係のメロドラマだ。

実業家のジンシェン(チャン・イー=左)はタオ(チャオ・タオ)にリャンズーと別れてほしいと迫り求婚する (C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
次のパートでは離婚した女は汾陽に残り、豊かだが孤独な暮らしをしている。父親が急死し元の夫と上海で暮らす7歳の息子を葬儀に呼び寄せる。異なった環境で育ち自分に馴染もうとはしない息子に食べさせようと、母親は愛情を込めて一つひとつ餃子を包んでいく。息子は間も無く父親とオーストラリアに移住するという。
最後の未来編は、オーストラリアでの生活の方が長くなり中国語をすっかり忘れてしまった大学生の息子と父親は意思の疎通ができない。息子は母の面影を求めるかのように、孤独な陰のある女性教師ミアと親しくなる。

タオの思いは揺れる (C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
筆者の“誤解”の元になったのは、ラストで踊る母親タオの姿だ。老いを感じさせない確かな舞には、海外で根なし草のようになって漂白する中国人に、母国こそ安住の地であり、まごうことなき美しい住みかだと語りかけるメッセージが込められていると感じたのだ。しかし、こうも解釈できる。どこにいても、時がどんなに過ぎても、母子の互いを求める気持ちは変わらない、と。そんなことを具体的に示す次のようなシーンがある。
2014年の現代のパートで、間もなく上海に帰る息子に母親のタオがカギを渡す。「合鍵を作ったの。いつ戻ってきてもいいのよ」。そのカギが2025年の未来のパートにまた出て来る。息子のダオラーと親密になった教師のミアがダオラーの首に下げられているカギを手に取る。「母さんがくれた僕の家のカギだ」と説明しながら泣きだすダオラー。
このカギには、実は監督自身の体験したエピソードが関わっている。汾陽で一人住む母がある日、監督に「あなたの家のカギよ」と渡してくれた。忙しい生活で実家に帰ることもままならない監督に、お金より大事なものがあることを気がつかせてくれたのだという。

祖父の葬式で上海から里帰りした息子と歩くタオは一緒に暮らすことを断念する (C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
監督はこのカギを時間と対比させながら他の場面でも有効的に使っている。最初のパートで恋に敗れ汾陽を去った炭鉱労働者のリャンズーが体を壊し妻子と共に故郷に帰ってくる。手術の費用にも事欠く彼に、再会したタオはお金を渡す。そして、かつて彼が町を出る際に捨てたカギを差し出すのだ。「あなたのカギよ」。一度は去っていった親友を彼女は忘れてはいなかった。どんなに時間が過ぎても友は友だという風に。
時間の描き方でもう一つ印象的だったのは、タオが息子を見送る日に母親が鈍行列車を選んだことに疑問を持ったダオラーがこう尋ねる。「特急に乗ればいいのに」。母は答える。「この方が長く一緒にいられるの」。時間と人の感情がいかに密接につながってるかをよく示している。

母の面影を教師のミア(シルヴィア・チャン=左)に求めるダオラー(ドン・ズージェン) (C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
経済発展に翻弄される人々に向ける監督の温かい眼差しは一貫して変わらないが、感情を慎み深く表現するうまさはますます磨きがかかっている。
一方、音楽へのこだわりも相変わらずだ。冒頭とラストで2度に渡って使われるペット・ショップ・ボーイズの「Go West」やサリー・イップの「珍重」は場面にピタリとはまり、心の奥の琴線に触れる。監督は映画を作って、ますますこの「珍重」が好きになったというが、それも分かる気がする。
「山河ノスタルジア」は4月23日よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開。【紀平重成】
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「山河ノスタルジア」の公式サイト
http://bitters.co.jp/sanga/