第593回「ラスト・タンゴ」

「ラスト・タンゴ」の一場面 (c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
スラリとしたマリアと渋味を感じさせるフアン。二人は共に80歳代なのにいつも背筋をピンと伸ばし、足をすっと運ぶ。まるでダンスを踊っているかのように。そう、二人はアルゼンチンタンゴの至宝とも言うべき伝説のダンスペアだ。その名声の陰で繰り返された愛と裏切り、そして和解。彼らの実人生がインタビューを挟んで、華麗なタンゴ・ダンスと心震わす音楽に溶け込み官能的につづられて行く。
アルゼンチンタンゴを踊るだけでなく見て鑑賞する芸術作品にまで高めた伝説的なペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスを描いた劇映画のようなドキュメンタリー。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 」のヴィム・ ヴェンダースが製作総指揮に当たり、「ミュージック・クバーナ」のヘルマン・クラルが監督と聞けば、期待は膨らむばかりだ。

「女ひとり、それが肝心なの」と語るマリア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
出会いはマリア14歳、フアン17歳の時。結婚してその後50年近くにわたってペアを組んだ二人は、何度となく再会と別れを繰り返しつつ、またいつか元のさやに納まる仲だった。他の相手では納得する踊りができないと分かっていながら、フアンはとうとうマリアの元を去ってしまう。マリアは家庭に憧れ、一方のフアンはステージだけでなく家でも顔を合わせる彼女にウンザリしていた。

「引退? あり得ない」と話すフアン(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
その愛と葛藤を互いにぶつけ合うだけでなく、芸術としてのタンゴ・ダンス作りにエネルギーを振り向けることができたのは、タンゴへの底知れぬ愛情があったからだろう。「彼を負かすのではなく彼を輝かすのよ。この時期、私はダンサーとして成長したわ」というマリアの言葉が、それを証明している。
随所に挿入される2人の語りも味わい深いが、今が旬の若手ダンサーや実力派の振付師たちを前に2人の愛憎をマリアが自ら語り、その場面を聞き手たちが華麗にして官能的なタンゴの振り付けで再現していく姿は圧巻だ。

軽快にタップを踏むマリア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
たとえば初恋のダンスは天使のようにみずみずしく舞い、口論する憎しみのダンスは激しく足をからめ合う、さらに優雅で穏やかな暮らしのダンスはゆっくり上品にステップを踏む。人生の様々な局面を雄弁に語るように、文字通りタンゴ・ダンスは人生そのものと言えるだろう。
心の一瞬の揺らめきまでもダンスで表現できる。そんなタンゴ・ダンスの特性を巧みに取り込んで、ヘルマン・クラル監督はドラマチック・ドキュメンタリーという新境地を切り開いた。

若かりし頃のマリアとフアンの黄金ペア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
この黄金ペアには、人気を呼んだテーブル上のタンゴがある。しかしマリアは「テーブルの上で踊るのは落ちそうで怖かった」と振り返る。昔のことを話す時の表情は今もあの時代にいるかのように若々しく可憐だ。そうかと思うと、「(あなたが)聞くのはフアン・コペスのことばかり。もう話さない」と感情を爆発させる。タンゴへの愛とプライドが交錯する。
最後に二人はこう答える。「女ひとり(の暮らし)、それが肝心なの。……復活したの」(マリア)。「引退? あり得ない」(フアン) 。
濃厚なタンゴ・ダンスの踊りと音楽をじっくり堪能されたい。
「ラスト・タンゴ」は7月9日よりBunkamura ル・シネマほか全国公開【紀平重成】
【関連リンク】
「ラスト・タンゴ」の公式サイト
http://last-tango-movie.com/