第598回「海峡を越えた野球少年」のキム・ミョンジュン監督に聞く
かつて、夏になると日本の球児が甲子園に集まるように、ほぼ同時期に在日コリアンの少年たちが韓国に渡り祖国の高校野球大会に出場していた。1956年から42年間に620人。その中には、後にプロ入りして3000本安打の偉業を達成した若き日の張本勲さんもいた。日韓両国の民間交流の歴史に光を当てたキム・ミョンジュン監督に聞いた。
在日同胞チームのメンバーは、開催時期が夏の甲子園と重なるため、予選敗退で甲子園に出場できなかった球児の中から毎年選抜していた。映画では、在日コリアンのチームが準優勝した3回のうち1982年出場の元球児たちを追っている。
--この年のメンバーを探し出し、プロ野球の始球式に招いたのはなぜですか?
「82年は韓国でプロ野球が始まった年です。もともと韓国の野球は毎年海を渡ってくる在日同胞の洗練されたプレーに刺激されて発展してきたという側面があります。ですからプロ野球開始の記念すべき年だけは高校野球大会の決勝をソウルの新しいチャムシル球場で開催しました。他の年は別の野球場でした。ドキュメンタリーは昔の記録だけを見てもあまり面白くありません。現在とどうつなげるかが大事です。82年はプロ野球の原点なので、韓国野球に貢献した620人の代表としてその年のメンバー14人を招待し、もう一度マウンドに立ってもらうことで恩返ししようと考えました」
--この企画には元球児の皆さんは賛成してくれたのでしょうか?
「アポイントメントをとったところ、なぜ自分たちみたいな普通の人間を撮ろうとするのか。詐欺ではないのかと散々言われました」
--映画の中でも、そんな会話が交わされていましたね。
「はい。撮影中も彼らは疑心暗鬼で。始球式のために韓国の球場に来た時に初めて実感が湧いたそうです」
--そうすると最初に声をかけてから実際に撮影OKの返事をもらうまでどれぐらいの期間がかかりましたか。
「長かったです。名簿を調べたり電話をして交渉したりするのに2年ぐらいかかりました」
--でも判断が良かったと思うのは、朝鮮総連系のキム・グンさんを最初に見つけ出したことですね。そこから口コミで広がり、それで成功したのだと。
「運が良かったですね」
--彼は非常にざっくばらんで、細かいことを気にしないフランクな人ですね。
「そうです」
--彼にとっても大変良い機会だったのでしょうか。
「自分の娘さんが高校時代に祖国訪問で北朝鮮に行ったことを話したので、僕も行ってきたよと話したところ、話が通じないんです。そこで彼は娘さんに映画を見せて、ああ、うちのオヤジはこういう立派なことをやったのかとようやく理解できたそうです」
--家族にもいい影響があった、それぞれの方にドラマがあったというわけですね。
「映画でも出てきますが、ピッチャーとして出場したヤン・シチョルさんは82年に初めて祖国の土を踏んだ時、韓国語が話せないのかと言われ、日本でも韓国でも差別されるのか、在日はそういう運命なのかと思ったそうです。彼は始球式で勇気をふるい在日の代表と思って投げました。そして、自分たちがこの30年余り抱いていた祖国へのしこりが解けた瞬間だったと言います」
野球という共通する文化があるから、いろいろ熱く語ることができる。前述のキム・グンさんのように「ふるさとの風や匂い」を感じながら野球をして感動することもできるということだろう。
--映画を撮って野球が好きになりましたか?
「今は野球の大ファンです。撮影当時(13年)は野球に詳しくなかった。彼らにインタビューするには専門知識が必要ですね。周りの野球ファンに相談したら、自分の好きなチームを作れと言われました。毎日毎日、勝ったらうれしい、負けたらウーンていう感じで」
--それは今もですか?
「変わってないです」
--どこのチームですか?
「釜山のロッテです(笑)」
「海峡を越えた野球少年」は8月20日よりポレポレで公開【紀平重成】
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