第607回 「太陽の子」の舞台を訪ねる
この秋、筆者は長年の夢をようやく叶えることができた。その夢とは台湾を一周すること。「悲情城市」のホウ・シャオシェン監督にインタビューするため、1993年の夏、初めてこの地を訪れて以来、足掛け23年。最後まで残っていた花蓮以南の東海岸を時計とは逆に左回りで北上し、下膨れしたサツマイモのような形の台湾をなぞる大きな輪を完成させたのである。
全島一周という夢を今回こそ達成したいと思っていたことは事実だが、大陸とは反対側の太平洋に面した東海岸行きにこだわったもう一つの理由は、たまたま9月に「太陽の子」(原題「太陽的孩子」)という台湾映画を東京の上映会で見て感激し、作品の舞台である花蓮県港口地区の見事な稲田を見たかった。またその集落に行けば、映画にエキストラとして出演した素敵な人たちにも会える。しかも、港口は全島一周という私が描いた夢の輪に唯一残る空白区のど真ん中にある。
期待に胸を膨らませながら、11月3日の早朝、台湾南部の高雄駅から、台湾と台湾映画が大好きな4人の仲間と一緒に自強号に乗り込んだ。パイナップルやヤシの畑など熱帯ならではの風景を堪能しつつ、台鉄(台湾鉄路管理局)の南回り線を行くこと約3時間。駅弁で有名な池上駅で降りて、まずは腹ごしらえをする。この後、電車で一度台東まで戻り、予約していた6人乗りのタクシーに乗り込む。車に乗り替えたのは、東海岸の鉄道は内陸部を走ることが多く、海岸線に沿って勇壮に切り立つ山が地の果てまで連なる絶景を楽しむには車の方が向いているからだ。また好きな時に降りて写真を撮ったり、休憩することもできる。シェアすれば料金も安い。
熱帯と温帯を区切る北回帰線を越え、目的地の港口に着いたのは夕暮れどき。それでも、まだまだ昼間の熱気がこもっている。国道にはほとんど車が見えず、人家もまばら。山側をのぞけば、見渡す限りの海と風に揺れる稲穂がどこまでも広がっていた。ここが「太陽の子」の舞台だ。
夕食は映画にも出てくる台湾の先住民族、アミ族の76歳の女性、アレク(旧日本名ミエコ)さんの民宿「莎娃緑岸」(サーワーリュイアン)で、乾したイノシシ肉や魚の塩焼
き、エリンギのワサビとマヨネーズ添え、地元で採れた海稲米に赤米を混ぜカボチャを炊き込んだごはん、海藻入りスープの郷土食を美味しくいただく。伝統食を現代風にアレン
ジしたものだろう。
この後アレクさんへのインタビューに入るのだが、映画の筋を簡単に紹介しておこう。
アミ族で港口出身のパナイ(アロ・カリティン・パチラル)は、娘と息子を故郷の父に託し台北のテレビ局で働く記者だ。ある日、父が病に倒れ、看病のため帰省したパナイは、荒れた田んぼに胸を痛め、そこに持ち上がった大型ホテル建設計画に悩む。雇用者と観光収入が増えることを期待する開発賛成派と、先祖から受け継いできた文化と土地を失うことを心配する反対派の二つに村が割れてしまう。同じ家族でも子供たちは親が村で働いてくれることを望み、それが分かっていながら確実に収入が望める都市で働くことへの未練もある。やがてパナイは先住民族の誇りを取り戻そうと故郷に戻ることを決める。
アミ族としての自分の名前を取り戻し、地元の「海稲米」を復活させようという実話を基にした映画は台湾社会で大きな話題を呼び、「奪われたものを取り戻す」という普遍的なテーマが共感の輪を広げている。これは港口だけの問題ではなく、台湾全土で、そして世界各地で共有されるべきテーマであろう。
お待たせしたが、いよいよアレクさんの登場だ。
--映画の中で、ホテル予定地の測量を強行しようとする役所とそれをサポートする警官隊に対し、反対住民が腕を組んで測量を阻止しようとしました。それは実際にあったことでしょうか?
「役所の人と警察官は80人、私たち村人は20人でした。偉い人には御願いせず、自分たちだけで行動しました」
--その時の行動を映画の中で自身で演じたということになりますが、難しくはなかったのでしょうか。
「戸惑うことはありません。自分が体験したことですから」
映画では、屈強な警官に向かって、アレクさんが「どこの出身の者か」と尋ねると、警官ははっとした表情を浮かべ、しゃがみ込んでしまう。同じアミ族という自身のアイデン
ティティに目覚め、それ以上、その場に立つことができなくなるという決定的場面である。彼女の真に迫る演技が素晴らしかった。
--結果的に土地を売らなくてすんだわけですが、それで良かったと?
「はい、漢人たちは我々をだまして安く買い取ろうとしました。しかし子どもたちも、この土地は絶対売ってはいけないと言いました。先祖から授かった大事な土地。売ったら
、何も残らないと」
--開発優先か、それとも伝統や環境を大事にするかという問題は世界中で繰り返されています。でもここでは海稲米をはじめ先住民族の文化の伝承という問題も絡んでいます
ね。
「はい、その通りだと思います」
--この映画を見て、この地を見てみたいという人がいそうです。私もそうでした。日本人へのメッセージがありましたらお願いします。
「この映画が上映されてから1カ月ほどして、一人の日本人がやってきてビックリしました。映画のことを聞きたいというので、どうしようかなあと(笑)。そうしたら、今度
は8月に二人も日本人が来ました。私からもお聞きします。あなたはこの映画を見てなぜここに来たいと思ったのですか」
--開発か伝統かと論争が起きた時に、強制は絶対にいけないと思います。ここでは住民の思いが反映されました。その現場を見てみたいと思ったからです。
「そうですか。では明日の朝、娘に案内するように手配します」
--同行のみんなも喜びます。
「私もうれしいです。今まで悲しい思いをいっぱいしてきました。でも心がスーッとしました。そんな思いが日本まで届くのかと思うとうれしい、うれしい、うれしい」
インタビューはすべて日本語で行った。1945年の日本の敗戦時に小学校1年生だったというアレクさん。7歳近い年上の夫から日本語を教えられたという。
監督は「シーディンの夏」のチェン・ヨウチェと、映画の基になったドキュメンタリーの監督でもあるレカル・スミ。
アレクさんは取材が終わると手作りの焼酎の入ったボトルを出してきた。全員のグラスに焼酎を注いでいくと、芳香が漂って来る。お湯や水で割らずストレートで飲むのだろうか。グラスを傾けて見ると、思いのほかまろやかだ。アレクさんはゆっくり味わっている。アミ族の高齢女性と語り合う晩。どこまで彼らの過酷な歴史に思いをはせることができたのか分からないが、穏やかな笑顔の奥に鍛えられたシンの強さを感じた。
いつかまた、この地を訪れてみよう。【紀平重成】
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