第611回 「The NET 網に囚われた男」
「南北分断」という極めて重いテーマで「プンサンケ」(2011年)、「レッド・ファミリー」(13年)の2作品を若手監督に託したキム・ギドク監督が、制作、脚本、撮影の三つに加え自ら監督も手掛けたのが、第17回東京フィルメックスのオープニングを飾った本作だ。
北朝鮮で妻子と平穏な毎日を送っていた漁師が、誤って国境を越えてしまったために遭遇するあまりにも理不尽な運命。タイトルにある「網」は国家を、そして「囚われた男」は個人を指す。つまり南北分断という「イデオロギー論争の舞台」に上がってしまった個人が、本人の意思に関係なく網の中の魚のようにもがき続けるしかない姿を寓話的に描いた作品と言えるだろう。
南北分断というテーマに強い関心を持つキム・ギドク監督は、これまで若手監督に自分の脚本を提供し、制作を引きうけて話題作を世に送り出してきた。国境を飛び越えて南北の首都を行き来し、3時間以内に人間まで配達するという男に降りかかった悲劇を描く「プンサンケ」や、仲睦まじい家族のフリをして任務に忠実であろうとする北朝鮮スパイ4人の葛藤に涙を禁じ得ない「レッド・ファミリー」だ。共に奇想天外な設定が笑いを引き出し、常識を激しく揺さぶリ、考えさせられてしまう。
しかし本作ではシリアスな面が際立ち、分断の存在が弱い立場の住民を追い込んでいく様を鮮明にあぶり出し、むしろオーソドックスな手法に驚かされる。南北分断の長期固定化や最近の政治情勢をめぐる危機感が、このテーマに監督を駆り立てたのかもしれない。
北朝鮮の漁師ナム・チョル(リュ・スンボム)は、ある日モーターボートで漁に出るが、魚網がエンジンに絡まり、ボートが故障したまま韓国側に流されてしまう。韓国の警察に身柄を拘束されたチョルは、スパイ容疑で執拗な拷問を受ける。厳しい取り調べに耐え妻子の元に帰りたい一心の彼に、今度は韓国への亡命が強要される。それにも抵抗したチョルだったが、彼の存在がマスコミに露見し、念願の北に戻されることに。だが、彼を待ち受けていたのは、さらに苛酷な運命だった。
チョルを監視する警護官(イ・ウォングン)は彼に同情し、やがてスパイではないと確信していくが、対照的に取調官(キム・ヨンミン)は彼をスパイに仕立てるためにありとあらゆる卑劣な行為を繰り返す。やがて北朝鮮への過剰な憎悪の源が明らかにされていくが……。
映画は確かに国家の暴力を明るみにしていくが、それだけではなく、善人、悪人という紋切り型の見方だけではとらえられない人間の心の闇や可笑しさをもあぶり出していく。さらに体制の違いを越えて、双方の良い面や矛盾を公平に写し取っていると言えるだろう。
作品ではキム・ギドク監督ならではのシリアスな場面が、これでもかという風に続くが、試練に耐えるチョルの姿からは、それゆえに、どこかユーモラスな一面を感じるのは、悲惨さの一本槍ではやりきれないと監督自身が感じているからだ。あるいは分断がいつか終わるという将来への希望を見る人すべてに持ってほしいとの監督の強い思いがこめられているとも言えるだろう。
作品では厳しい描写にも手加減しないキム・ギドク監督だが、フィルメックスの上映前後の舞台挨拶とQ&Aでは観客にこれ以上はないという満面の笑みを見せた。質問を希望する手が多数上がった際には、まだもう一人あそこにいるよと司会の林加奈子さんにアピールしたり、セレモニーの始まる前に花束を渡してくれた熱烈なファンを覚えていて、舞台から去る際にも会釈するなど優しさが際立っていた。
「The NET 網に囚われた男」は1月7日よりシネマカリテほか全国順次公開【紀平重成】
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「The NET 網に囚われた男」の公式ページ
http://www.thenet-ami.com/
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