第615回 「ブラインド・マッサージ」

シャオマー(ホアン・シュエン=右)とドゥ・ホン(メイ・ティン)は自分のもどかしさをぶつけ合う
ロウ・イエ監督には「スプリング・フィーバー」日本公開前の2010年11月に来日した際にインタビューしたことがある。その時、一番印象に残ったのは次のような言葉だった。
「僕は出過ぎた杭になる」
これには若干の説明が必要だろう。監督は「ふたりの人魚」と「天安門、恋人たち」で2度にわたって映画製作禁止処分を受けているのに、そんなことなど無かったかのように終始笑みを浮かべ、質問に答えていたからだ。「取り巻く環境がいい方向に向かっているのでしょうか」と尋ねると、「ラッキーだと思います。そう思うのは私は映画を撮り続けることができている。それが大きいです。電影局がこれ以上僕をいじめないでほしいです」。

休憩時間にはおしゃべりしたり、互いの脈を計ることも
その毅然とした態度に、思わず「日本には『出る杭は打たれる』ということわざがありますが、逆に『出過ぎた杭は打たれない』とも言います。相手を励ます意味もあるのでしょう」と声をかけた時に、先ほどの「僕は出過ぎた杭になる」という言葉が返って来たのである。
常に自分の描きたいテーマを探し求め、そのために資金面でも、あるいは映画作りの面でも最良の方法を編み出そうと努力し続ける監督の強い思いが伝わって来るではないか。視覚障害者の世界を映像化するという今作は、まさにそのチャレンジ精神を如何なく発揮したロウ・イエ監督の最高傑作と言えるだろう。
舞台は「時代に流されていない感じのこの町が大好き」と監督が言う南京の盲人マッサージ院。南京での撮影は「スプリング・フィーバー」以来だ。
若手のシャオマー(ホアン・シュエン)は幼い頃に交通事故で視力を失い「いつか視力が回復する」と言われている。生まれつき目の見えない院長のシャー(チン・ハオ)は見合いを繰り返すが、視覚に障害があることを理由に縁談を断られてまう。同じく生まれた時から目が見えない新人のドゥ・ホン(メイ・ティン)は客から「美人すぎる」と評判でも、自分には何の意味もない「美」にウンザリしている。そこに院長を頼ってワン(グオ・シャオトン)と恋人のコン(チャン・レイ)が駆け落ち同然で転がり込み、事態は思わぬ方向に動きだす。

マッサージ院のシャー院長(チン・ハオ)は結婚したがっている
映画は最初から、見えることとは、そして見えないこととはどういうことかを観客に考えさせる。たとえば美しいと言われても自分には何の意味もない他人の評価にウンザリしているドゥ・ホンにとっては、見える世界での「美」と見えない世界での「美」は同じとは言えない。彼女の評判を聞いて院長のシャーは、その「美」が一体どんなものか知りたくて、彼女に近付き確かめようとする。
このような視覚障害者の視点を見せることで、人が絶対だと思っている感じ方は実は個人的なものだと気付かされる。目が見えるからこそ見逃している問題もあれば、目が見えないために「見えてくる」問題があることも教えてくれる。
一方、監督は目が見えない人の感覚を観客に感じてもらうために、クローズアップ、ぼやけなど撮影上の工夫を凝らしている。また健常者の俳優には不透明のコンタクトを付けてもらったり、逆に全盲の人には撮影の前に時間をかけセットやロケ地での小道具の配置を完全にマスターしてもらった。

院長を頼って恋人同士のワン(グオ・シャオトン=左)とコン(チャン・レイ)がマッサージ院に転がり込む
ここで思い出すのは、「天安門、恋人たち」の審査の際に、当局が「音も映像も質が悪い」とした技術的な基準のあいまいさである。監督によると、薄暗いシーンが多く、またぼかしなどのテクニックを使って目が見えない現状をリアルに再現した今回の映像と音声は、明らかに「天安門、恋人たち」より音も映像も「質が悪い」のに、審査がスムーズだった。技術的な基準というのは単なる口実で、「イデオロギーの面での検閲だったことがこれではっきりとわかりました」という。
ロウ・イエ監督に限らないが、作品ごとに当局とやり取りすることで、どこまで頑張れば現時点で当局が認めるのかを絶えずテストしている監督はいるだろう。しかし、「目の不自由な人間の視覚的な物語を作ろう」と思いついたロウ・イエ監督は、「これで当局の出方をさぐれる」とゾクゾクするような期待感を抱いたと考えるのはうがち過ぎだろうか。
「僕は出過ぎた杭になる」。そう言って目を輝かせた監督の顔を忘れることができない。
「ブラインド・マッサージ」はアップリンク渋谷、新宿K’s cinemaほか全国順次公開中【紀平重成】

思いつめたシャオマーだが……
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