第633回 「十年」
香港がイギリスから中国に返還されて20周年の今年、ぜひとも見ておきたいのがこの作品だ。香港の若手監督5人が2015年から10年後の香港を描いたオムニバス作品は、昨年の大阪アジアン映画祭で海外初上映となり注目されたほか、直後の香港電影金像奨で最優秀作品賞を受賞している。
5つのパートに共通しているのは、香港の近未来は暗いという見方である。
クォック・ジョン監督の「エキストラ」は、中国と香港の高官らが暴力団にテロを実行させるお話。「国家安全条例の成立は間違いないです」と実行責任者が高官に得意げに語るのが不気味だ。
ウォン・フェイパン監督の「冬のセミ」は、終末感漂う街の一室で若い男女が消え行く物の標本づくりに没頭する。ある日、男が「俺を標本にしてほしい」と女に求める。そうすれば、誰からも自分の信念を変えさせられずに済むという事なのか。
ジェヴォンズ・アウ監督の「方言」は、普通語(北京語)が義務づけられることになり、広東語しか話せないため仕事が奪われていくタクシー運転手の悲哀が描かれる。
キウィ・チョウ監督の「焼身自殺者」は、若い男女の学生を主人公に、英国領事館前で起きた焼身自殺の実行者は誰で目的は何かと観客に推理させていく。14年の雨傘運動の実際の映像も交え、香港の置かれた状況が改めて突きつけられる。
ン・ガーリョン監督の「地元産の卵」は紅衛兵を思い起こさせる少年団が登場。違法な
言葉が使われていないかパトロールする姿を描く。少年の一人は父親から「人のいいなりになるな。自分で考えろ」と言い含められる。違法な言葉のリストを見て、少年は「ドラえもんも禁止だ。バカだなあ」とつぶやく。
どのパートも、やがて起こりそうであったり、現に起きていることを想定させる事例ばかりだ。当初は1館でスタートした上映は口コミで評判が広がり、ロングランとなって、いま香港人の琴線に触れる作品として受け入れられた。
返還後の香港の近未来を描いた作品には、フルーツ・チャン監督の「ミッドナイト・アフター」(14年)がある。17人の男女が乗った深夜バスがトンネルを抜けると、乗客以外のすべての人間が消えていた。不安が新たな不安を呼び、彼らは次第に理性を失っていく。支配者がいない世界では、力関係もむき出しになる。生き残りをかけて「ルールは我々で決められる」という、聞き様によっては政治的なセリフまで飛び出すのだ。
どこかSFの世界をのぞいているような作風に対し、本作の場合は現実に近いと感じる人が多かったのだろう。香港では「泣いた」という口コミが一気に広がったようだ。
香港の返還に合わせて定められた「香港基本法」によると、香港には「高度の自治」を保障する「1国2制度」を返還後の50年間は変更しないと約束している。しかし、現実にはそれが守られていないと感じる香港人が多いことを、映画への共感の広がりは証明している。
香港や台湾の映画人の動静を見ても、民主化運動支持の発言をした俳優や監督が、その後、ステージから姿を消したり、活路をほかの国に移す事例が相次いでいる。いずれも資金を潤沢に持っている中国からの圧力がかかったり、あるいはやむを得ず自粛しての結果である。
伝統的に映画の政治的効果を重視する中国が存在感を増す中で、本作の制作と公開は勇気ある行動と言えるかもしれない。
映画の中で次のような言葉が印象深く語られる。
「慣れちゃいけない」。そして「もう手遅れだ」「まだ間に合う」
短いながら、どれも力強く、そして悲痛な言葉だ。自身で考え、メッセージを発信し続けることは大切。それは中国に対してだけでなく、我が国はもちろん、多くの国にも当てはまる普遍性あるメッセージと言えよう。
「十年」の制作や上映にかかわった多くの勇気ある映画人に連帯のあいさつを送りたい。
「十年」は7月22日より新宿K’s cinemaほか全国順次公開【紀平重成】
【関連リンク】