第637回 「草原に黄色い花を見つける」
ベトナムと言えば、長きに渡って戦争の行われた国というイメージが強い。だがこの作品は、貧しいながらも平和が訪れた1980年代半ば、中部フーイエン州の緑豊かな自然を背景に、兄弟と幼なじみの少女による初恋の悩みや成長を瑞々しく描いた青春映画だ。
テーマが特別変わっている訳ではないのに、ベトナムの若者から熟年世代まで多くの観客が映画館に押し寄せたのは、恋の悩みや嫉妬、別れの痛み、さらに子どもから大人になる一瞬を詩情豊かな映像ですくい取ったビクター・ブー監督の手腕によるところが大きい。アメリカで生まれ育ち、ハリウッドで映画を学んだ後、30代半ばで祖国に渡りヒットメーカーになったという「文化的ハイブリッド」の頭脳とセンスもプラスに働いているのかもしれない。
ティエウとトゥオンは、蚊帳のベッドに寝るまで一緒の仲良し兄弟。兄のティエウは夜道の買い物では弟に同行を求めるほどの怖がり屋の上、いじめっ子には弟の助けを借りないと仕返しもできない弱虫だ。そんなティエウも12歳になり、幼なじみの少女ムーンのことが気になっているが、うまく思いを伝えることができない。ある日、ムーンの家が火事になり、しばらく、ムーンが兄弟の家で過ごすことになる。ティエウの恋心はますます募っていくが、なぜかムーンは弟のトゥオンと遊んでばかり。嫉妬のあまりティエウは、取り返しのつかないことをしてしまう。
ストーリーを読むと、どこかで見たようなものが多い。情けない兄と、そんな兄を気遣うしっかり者の弟という対比。幼なじみの少女をめぐる三角関係のきしみもある。そしてしつけには厳しくても家族のきずなを大事にする父親。どこにでもありそうなエピソードが続くのに見る者を飽きさせないのは、80年代半ばの風景が細部まで再現されていて、お年寄り世代の郷愁を誘い、若い世代には新鮮な映像として映るからだろう。
蚊帳の寝床やハンモック、手作りの凧や水に浮かべるおもちゃの帆船、はてはU字型の檻(おり)の中を2台のオートバイがグルグル回るサーカスといった懐かしいアイテム。日本や韓国、台湾で続いた「懐古映画」の流れをくむ作品がベトナムでも注目されているのかもしれない。
ビクター・ブー監督はベトナム戦争が終わった75年にアメリカで生まれた。子供時代はアルフレッド・ヒッチコックやマーティン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグ監督らのハリウッド作品を好んで見たが、その後は黒澤明やチャン・イーモウ監督らのアジア映画に親近感を覚えるようになる。ベトナムから移住した両親から、小さいころより原点である母国の言葉や風俗を大事にするよう教え込まれたことは想像に難くない。
ロサンゼルスのロヨラ・メリーマウント大学で映画を学んだ後、南カリフォルニアに移住したベトナム人家族の困難を描く「年初の朝(First Morning)」(2003年)で長編監督デビュー。2009年には映画製作の拠点をベトナムに移し「愛へのパスポート(Passport to Love)」を撮影。それ以後は毎年1〜2本のペースで作品を発表している。
75年のベトナム戦争勝利によって南北統一を果たし翌年誕生したベトナム社会主義共和国では、戦争と革命の社会主義リアリズム映画が次々に作られた。統一直後であればその余韻にひたる観客もいたであろうが、2000年代に入ると、さすがに内容はもちろん描き方も時代遅れで、観客から支持されているとは言い難かった。そんな保守的な映画市場にハリウッドで鍛えた娯楽映画のスキルを生かしてのコメディやホラー作品は評判となり、たちまちベトナム映画の大ヒット監督の仲間入りを果たす。本作品ではベトナム最高の映画賞である金の蓮賞の最優秀監督賞と最優秀作品賞をダブル受賞している。
ベトナムは中国から長年にわたり支配を受け、またフランスの植民地に組み込まれたことなどから多層な文化が育くまれてきた。ベトナム戦争では米軍による空爆や枯れ葉剤投下など過酷な被害を受けたものの、粘り強い戦いで南北統一に成功してる。戦争の過程で多くのボートピープル(難民)を生んだが、その人々や子世代からビクター・ブー監督のような才能が育っているのは感慨深い。アメリカは戦争には負けたが、文化の面では負けるどころか逆に貢献しているということか。ブー監督らが祖国に新しい風を吹き込み始めたいま、どのような文化現象が生まれるだろうか。興味は尽きない。
主役の子供3人の活躍にも触れておきたい。子供と言っても、全員がベトナムの有名な経験豊富な子役で、特にムーン役のタイン・ミーは20本以上のドラマに出演。「ベトナムの芦田愛菜」的存在という。3人の演技を見るだけでも楽しめそうだ。
「草原に黄色い花を見つける」は8月19日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開【紀平重成】
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