第644回 「立ち去った女」
たまたま、この作品の導入部分を見る機会が2回あり、1回目には見逃していた監督の仕掛けがすごいことを思い知らされた。
まず畑で働く大勢の女性が映し出される。やや引いたカメラからの映像は顔が小さくて表情が読み取れず、まだ誰が主人公かは分からない。だがここで2人の女が互いの名前を呼び合うことで、物語のカギとなる中心人物を告知しているのだと分かった。それも実にさりげなく。
続いて、作業を終えた女たちがスコップやツルハシを所定の場に戻していくシーン。道具を戻すというより放り投げると言ったほうが正確。それを監視する銃を持つ男たちの様子から、どうやらここが刑務所の農作業場で、女たちは受刑者同士ということが明らかにされる。
次の場面は、元小学校の教師であるホラシアが刑務所内で開く読み聞かせの会。親友のぺトラが読み始める。だが彼女はある部分まで読むと、先へ進めなくなる。それは映画の重要なテーマであるえん罪と魂の救済について触れる場面で、映画の最後にもう一度同じセリフを今度はホラシアが語ることになる。冒頭のわずか数分、3カットで主要な登場人物を紹介し、テーマについても暗示してしまう見せ方に感心する。
監督は、脚本、撮影、編集を兼ね、2016年の世界三大映画祭の二つで金と銀(「立ち去った女」=ベネチア国際映画祭金獅子賞、「痛ましき謎への子守唄」=ベルリン国際映画祭銀熊賞)に輝いたフィリピンのラブ・ディアス。本作が彼の日本初公開作品だ。
殺人罪で30年間服役中のホラシアが所長に呼び出される。聞かされた内容は衝撃的で、彼女は卒倒する。自分が関わったとされた殺人事件は信頼していたぺトラが真犯人で、殺人を指示したのはかつての恋人で今は富豪となっているロドリゴ。別れ話を恨みホラシアを陥れたという。ぺトラは罪を告白後に所内で自殺した。
出所したホラシアは入獄前にまだ幼かった娘の居所を突き止め、夫が亡くなり、息子は行方不明と聞かされる。家を整理し旅に出たホラシアの前に、物乞いの女やアヒルの卵を売る男、心身に傷を抱える謎の女ら生きることに疲れている人たちが現れる。彼らに優しく接し、惜しみなく愛を注ぐ彼女には、逆に警備が険しく簡単には近づけないロドリゴの詳細な情報が寄せられる。ホラシアの復しゅうの準備が徐々に整っていく。
上映時間3時間48分。映画2本分の長さながら、全く長さを感じさせないのは、光と闇の対比を生かした魔術的な映像の美しさと、善悪を併せ持つ人間の心の不思議さを浮き彫りにする脚本の妙であろう。
うかつなことに、実は画面がモノクロであることに気づくのが遅れた。それは色彩を意識する以上にカットの美しさに目を奪われていたからかも知れない。たとえば坂の上に停められた白いワゴンの脇でいきなり踊りだす女の妖しくも美しい踊りは、スポットライトの中を舞う故大野一雄の舞踏劇を見ているように夢幻的だ。光と陰の絶妙な対比は、余分な情報がそぎ落とされることにより、むしろカラーよりも雄弁に美しさを表現しているように見える。
こんなカットもある。用心棒も従えずに、ある日1人でふらりとアヒルの卵を買いに来たロドリゴ。その情報を聞いたホラシアは、その日から毎晩のように卵売りの男の脇に座り、遠方に見えるロドリゴの邸宅の玄関をうかがう。人影がゆらゆらと近づき、暗闇から人が浮かび上がるたびにロドリゴではないかとドキドキする。サスペンスの様相を盛り上げるのがうまい。
復しゅうに燃えるホラシアは善悪のバランスを取ろうとするかのように善行に励む。卵売りの男には売れ残った卵を全部買い上げ、腹を減らした彼の大家族に分け与える。優しさの陰に、彼女の迷いが垣間見える。
一方、ロドリゴも生活は安泰だが、心の奥では不安を抱える。ある日、神父を呼び止め告解したいと申し出る。「心にケダモノがいる。後悔する時もあれば、正しかったと思う時もある。恨む相手の人生を壊すのが楽しかった」
どこまで言うのかと観客もハラハラする場面だ。そしてこう尋ねる。「神はいると思うか」。神父の答えは「そう信じる」。その神はどこに?と問うロドリゴに、「探すのだ。君ならできる」。薄笑いを浮かべ、ロドリゴはサングラスをかける。
物語は心身をズタズタにされた女で実はゲイの男ホランダをホラシアが親身に介抱することで思いがけない展開に進むのだが、ここでも他者への献身や、許しと魂の救済が交錯して、復しゅうの行方も変転する。それこそ、神のみぞ知るという風に。
主演のチャロ・サントスが17年の空白を感じさせない存在感タップリの演技で観客をグイグイとドラマに引き込む。しかも彼女がフィリピンの有力テレビ局の制作部門を切り回し最後はCEOにまで上り詰めた有能なビジネスパーソンというから驚かされる。
貫禄を感じさせる現在の彼女も魅力的だが、青春スターとして人気を博した若い頃の作品「カカバカバ・カ・バ?」(マイク・デ・レオン監督、1980年)が今月開催の東京国際映画祭で上映されるというから、こちらも必見だ。
ラブ・ディアス監督の非凡な才能はラジオの巧みな使い方にも現れている。映画の冒頭では1997年の香港の中国返還に伴い、ミンダナオ島の中国系事業者が引き揚げ始め、フィリピンの経済基盤が弱体化すると懸念する識者の見方をニュースで紹介。背景には誘拐の多発という治安状況の悪化があるとの解説も流され、時代背景がさりげなく紹介されているのだ。
愛と献身で貧しい人の味方であろうと努めたマザー・テレサの死もラジオから流れる。わざわざ挿入されたのは彼女の遺志を継げというメッセージを込めたのであろうか。
深く重い人間ドラマでありながら、「へぇー」とある意味感心したのは、こんな場面だ。卵売りの男に紹介されて銃を購入したホラシアに売人が「誰を打つの?」と事も無げに言う。とっさに彼女は「護身用」と答えるが、麻薬の密売や誘拐だけでなく殺人への罪悪感も麻痺しているかのような日常に考えてしまう。
「立ち去った女」は10月14日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開【紀平重成】
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